Silberhorn 3695m Grindelwald 郊外 (スイス) 2016.8.13 |
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初春令月、気淑風和、 梅披鏡前之粉、蘭薫珮後之香 万葉集 初春の令月にして、気淑く風和らぎ、 梅は鏡前の粉を披き、 蘭は珮後の香りを薫らす 時あたかも新春の好き月、空気は美しく風はやわらかに、 梅は美女の鏡の前に装う白粉のごとく白く咲き、 蘭は身を飾った香りの如きかおりをただよわせている 中西 進著「万葉集」....朝日新聞 2019年4月2日 |
[ホームページ]へ戻る | 1.七夕 | 2019.07.16 |
2. 枯葉 | 2019.12.01 | |
3.春の野に | 2020.03.11 | |
4.山吹 | 2020.05.01 | |
5.惜別 | 2020.08.01 | |
6.秋声 | 2020.11.15 | |
7.五節句 | 2021.03.02 | |
8.利休ねずみ | 2021.09.22 | |
9.別離 | 2022.07.16 | |
10.夏 | 2023.08.23 | |
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1.七夕 | 2019.07.16 |
Sankt Moritz (スイス) 2019年1月 Photo: Naomi Sato-Knaf |
先ずは長い間更新しなかったことをお詫び致します.私は相変わらずの日々を過しています.新年になってから今日まで幾つかの行事の発起人代表や幹事を務め、更に日々の雑用の為猛烈に忙しかった.やっと一息つくようになったらもう7月になっていた. 7月も半ばなのに未だ梅雨明けとならず、低温の日が続いている.梅雨の季節、北原白秋の詩 「雨が降る降る 城ケ島の磯に 利休鼠の雨が降る 」の雨は何処かに行って仕舞ったかのように、降れば大雨となり昔の小糠雨の風情はもうない! 梅雨の声を聞く度に子供の頃の鬱陶しかった6月の日々を懐かしく想い出す. 正月も雛祭りも端午の節句もあっという間もなく過ぎ去りそして七夕も過ぎた.日課の4kmのWalkingも雨天続きで思うように出来ない.脚力の衰えを防ごうと雨天に歩くと、散歩道の両側には、七夕の笹竹が何本も立っていた.願い事を書いた短冊が多数雨に濡れながらぶら下っていた.気が付けば「紫陽花」の花も変色し夏の到来を待っているようだった. 天の川 楫(かじ)の音聞こゆ 彦星と織女(たなばたつめ)と 今夜(こよひ) 逢うらしも 柿本人麻呂 万葉集 天の川 浅瀬しら浪たどりつつ 渡りはてねば あけぞしにける 紀友則 古今和歌集 七夕は 今や分かるる 天の川は 川霧たちて千鳥なくなり 紀貫之 新古今和歌集 散歩道を歩いていると、ふと白い花が目に飛び込んで来た.梔子(くちなし)の花だろうか? 白い花を見たら自然に遥か昔ラジオ歌謡で覚えたのであろう歌を自然に口ずさんでいた. 白い花が咲いていた ふるさとの遠い夢の日 さよならと言ったら 黙ってうつむいてた おさげ髪 悲しかったあの時の あの白い花だよ 白い花が 浮いてた ふるさとの高いあの嶺 さよならと言ったら こだまがさよならと 呼んでいた 淋しかったあの時の あの白い雲だよ 作詞:寺尾智沙 昨曲:田村しげる 1950年(昭和25年)ラジオ歌謡 この歌を聞いたのは多分小学六年生か中学一年生の頃だったと思う.日々の生活では全く思い起すこともない昔を僅か白い花一輪で想い出すとは! いささか感傷的になった. 5月に大学生時代そして卒業後も大変お世話になった「故北大名誉教授ご夫妻を偲ぶ集い」を菩提寺のある福島県会津若松市で開いた.私は両親、祖父母、戦争で亡くなった叔父、先祖累代の墓の墓参に年に1度は福島県田村市の山奥にある墓所を訪ねている.新幹線郡山駅で車を借りて東へ向かうが、西へ向かえば先生ご夫妻が眠る会津若松市がある. 郡山駅に着く度に西方へ向いたいと念じるが時間がなく2回しか墓前に参ったことがなかった. 33回忌には未だ数年あるが、自分自身が老齢となり身体が動かなくなる前にと考え、発起人代表となり約半年かけて準備し実施した.趣旨に賛同し、先生ご夫妻を慕う後輩やご家族の計28名が、北は北海道、南は九州から、出席された. 地元在住の後輩に全ての段取りを、他の後輩達に会計を、頼むなどして無事終了してホット一息つけた.その後福島県田村市に墓参に行ったり、高校生以来の友人達と恒例の年1回の旅(今年は山陰地方、松江、境港、皆生(かいけ)温泉、足立美術館、玉造温泉、出雲大社)に出かけたりして忙しかった.そして今年も早や半年が過ぎてしまった. 「先生ご夫妻を偲ぶ集い」には地元紙2紙(福島民報、福島民友)が取材に来ていた.下に掲載された記事を紹介する.
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2.枯葉 | 2019.12.01 |
札幌郊外 無意根山(1464m) 山頂 1959年11月 |
珍しく暖かい日差しの下散歩道を歩いていたらふと足元の落葉が目に入った. 今日から12月、秋も終わり冬の候なのだが今年は夏の酷暑、台風、大雨など異状気象の年だったのでとても秋の風情を感じる心の余裕はなかった.少し時間を戻して初秋の歌を想った. 秋來ぬと 目にはさやかに見えねども 風の音にぞ おどろかれぬる 藤原敏行朝臣 古今和歌集 この歌に出て來る”おどろく”は、「はっと感じた」の意味だろうが、60年以上も昔、未だ高校生だった頃国語(古文)の先生から”はっと目が覚める”の意味だと教えられた.もう先生の名前は忘れて仕舞ったが、今でもはっきりと先生のこの言葉を覚えている.好きな歌の一つだ.手元に古びた本がある、「萬葉古今新古今の研究」というタイトルで1954年3月12日購入と裏表紙に書いてある.今でも思い立っては読み返している.高校生の時から繰り返し繰り返しこの本を読み好きな歌にはその時引いた赤線が残っている. 秋も深まり初冬を迎えるにつけ目前のゴルフ場の木々もいつの間にやら赤、黄の色をつけるようになった.秋と言えばシャンソンの代表的な楽曲である「 Les Feuilles mortes」を思い浮べる.日本語訳は直訳に近い「枯葉」、英訳は「Autumn Leaves」である. 私には英訳の「Autumn Leaves」は味気なくフランス語の「Les Feuilles mortes、死んだ葉」という言葉の方が的を得た表現のように思い、好きだ. 最初にイブ・モンタン(Yves Montand、イタリ-出身、俳優、シャンソン歌手) が歌ったがぱっとせず、ジュリエット・グレコJullette Greco、フランス出身、シャンソン歌手)が歌ったことで有名になったそうだ.アメリカでは、ビング・クロスビ-(Bing Crosby)やナット・キングコ-ル(Nat King Cole )が歌ったがぱっとせず、ポピュラ-ピアニストのRoger Williamsがヒットをとばしてからポピュラ-になったそうだ.その後フランク・シナトラ(Francis Albert"Frank" Sinatra)や多くの歌手が歌っている.日本では「淡谷のり子」、「高 英夫」、「越路吹雪」、「芦野 宏」、「ペギ-葉山」、「笈田敏雄、”ジャズナンバ-”」や多くの歌い手が歌っている.私はここまで挙げた歌手の全員を知っている.つまりそれ程私も齢を重ねて、音痴ながらも数多くの楽曲や歌詞に親しんで来たことだとつくづく思う. しりとり遊びではないが、ナット・キングコ-ルと言えば、彼の娘さん(ナタリ-コ-ル、Natalie Cole)が亡き父が歌った音源とのオ-バダビングで歌ったUnforgettable (後にグラミ-賞、Song of the Year賞受賞)も私の好きな歌の一つである. Irving Gordon 作詞・昨曲 ジャズ楽曲 Unforgettable that's what you are Unforgettble though near or far Like a song of love that clings to me How the thought of you does things to me Never before has someone been more 訳 忘れられない あなたのことを 忘れられない そばにいようと離れていようと ずっと頭の中で流れている愛の歌のよう あなたを想うことが どんなにか計り知れない あなた以外の人は これまでいなかった 大分前のことだが、会社勤めの頃車で通っていたので毎朝この歌のCDを掛けて聴いていたのを思い出す. 更に想いが飛ぶ.それはフランスの詩人ポ-ル・ヴェルネ-ル(Paul Marie Verlaine)の詩 ”秋の歌”(Chanson d'automne)である.上田 敏の訳が素晴らしい. 訳 上田 敏 「海潮音」より 落葉 秋の日の ヴィオロンの ためいきの ひたぶるに 身にしみて うら悲し 第二次世界大戦で、米、英、仏の連合軍がノルマンデイ上陸作戦を決行したが、英国のBBC放送がこの詩を流して指示していたのは有名な実話でもある. 11月26日の朝日新聞朝刊にモエ・ヘネシ-・ルイ・ヴィトン(LVMH Moet Hennessy-Louis Vuitton SE,Moet のeは正しくは上に点が二つ付くがここではその文字を表せない)が 宝飾品販売で有名なテイファニ-(Tiffany & Co)を買収するという記事が載っていた.私はダイアモンドには縁がないが、 シャンパンのモエ シャンドンが大好きで昔からよく飲んでいる.テイファニ-と言えばオ-ドリ- ヘ(ツ)プバン-ン(Audrey Hepburn,英国人女優)主演映画、「テイファニ-で朝食を(Breakfast at Tiffany's)」を思い出した. そして彼女が歌う「ム-ンリバ-(Moon River)]を. Moon River Lyric Johnny Mercer, Music Henry Mancini 1961 Moon River,Wider than a mile: I'm crossi' you in style some day. Oh dream makerr,You heart breaker, Wherever you're goin', I'm goin' your way: Two drifters, off to see the world, There's such a lot of world to see. We're after the same rainbow's end. Waitin' round the bend ,my Huckleberry friend, Moon River and me. 和訳 Kei あなたは遠い川面の月影 いつか優雅に渡ってみるわ 夢と心の痛みを教えてくれた そんなあなたとどこまでも行きたい 二人が漂う世界には 素敵なことがこんなにあったの あのア-チが降りていく 同じ虹の下で待っていれば会えるでしょう 私の愛しい友だち 月影映える青い河と私 彼女の素朴な歌い方には何か心に迫る響きがある.ヘ(ッ)プバ-ンと言えば私には,彼女の作品の中では、ロ-マの休日(Roman Holidy)が一番心に残る.会社に入って3年目の秋、会社初の海外駐在員としてスウエ-デンに行くことになった(1964年).その時まだ見ぬ国、知らぬ都(ストックホルム)をイメ-ジした際想像したのが、「ロ-マの休日」に登場したスペイン広場だった.実際には違ったが、この映画は1953年に作られたので多分学生時代(1958年~1962年)に見て印象深かったのだろう.一方「テイファニ-で朝食を」は1961年制作なので駐在員になる前に見たのかも知れないが随分後になって知るようになった気がする. 今日も又録画した NHK BSプレミアム の「追悼 佐藤しのぶ~神様に声を返す日まで」を見、聞いている.9月未61歳の若さで亡くなったのは大変残念である.私は30年も昔彼女のリサイタルに行ったことがある.それ以来素晴らしい声に魅せられて折に触れ思い出している.蝶々夫人、アヴェ・マリア、ロンドンデリ-の歌などなど素晴らしい声に魅了されている.高校生の時ドイツ語、英語担当の先生がよく響く低音で、Londonderry Airを原語で歌って呉れたのが忘れられない.この時Heirという単語もAirと同音異語と教わった. さて今日から12月、いよいよ師走であるがその声を聞くと何か忘れた事が無かったか、未完のものが無かったかと急に忙しくなった気がするのは不思議だ.今年は随分早く時が流れた一年だったように思える. 行く年の 惜しくもあるかな ます鏡 見る影さへに くれぬと思へば 紀貫之 古今和歌集 では皆様どうぞ良い新年をお迎え下さい.
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3.春の野に | 2020.3.11 |
散歩道に咲く河津桜 2020年3月2日 |
春の野に すみれ採みにと 来(こ)し吾ぞ 野をなつかしみ 一夜宿(寝)にける 山部宿禰赤人 萬葉集 あしひきの 山桜花 日並べて かく咲きたらば いと恋ひめやも 山部宿禰赤人 萬葉集 童謡 ひな祭り 作詞:サトウハチロ- 作曲:河村 光陽 あかりをつけましょ ぼんぼりに おはなをあげましょ もものはな ごにんばやしの ふえだいこ きょうはたのしい ひなまつり 正月、節分、ひな祭り、と季節の行事もあっという間に過ぎ去りもう桜の候となった.季節はもう春、心が浮き浮きする筈なのが新型コロナウイルス感染症の蔓延に怯えてとても弥生3月を楽しむ気持ちにはなれない.それでも私の散歩道の河津桜や修善寺桜などは何事もないように咲き誇っている.散歩道の傍らにそれほど広くない遊び場があり、例年3月初めにはテントを張りお雛様を飾っている.屋台も出て結構賑わうのだが、今年はコロナウイルスのせいで中止となって仕舞った. インフルエンザウイルスやコロナウイルスなどその存在を目で確認出来ないので本当に恐ろしいが、現代の科学や医学ではどうにも律せられないのが残念だ. 今まで使用して来たPCにはOS(Operating System)としてWindows 7がインスト-ルされているが、令和2年1月14日にサポ-トが終了する(した)ので已むを得ず正月にWindows10搭載のPCを購入した.家電販売店に行って驚いたのは、展示されているPCの大半がNote型PCだった.私はもう持ち運びはしないし、出来るだけ画面が大きいDesk Top型が好きなので、注文して取り寄せて貰った. 爾来約2か月の間、連日旧PCにある膨大なデ-タ(文章や住所録など)や写真を新型PCへ引っ越すべく悪戦苦闘して来た.ガイドブックやWebサイトの指示通りでは上手く行かず、我流で適当に作業したら何とか移すことが出来た. 引っ越しに際して最大の問題と当初から憂いていたのが、自分のHomepageをどうやって新PCを使って更新出来るのだろうかという事だった.今まで20年以上利用して来たソフト(アプリケ-ション)はバ-ジョンが古すぎてWindows 10では対応しない事は分かっていたからだ.ガイドブックやWebサイトの指示によれば,旧PCと新PCの両方を同じバ-ジョンにし更に旧PCに引っ越しツ-ルをダウンロ-ドしてからそのツ-ルを使ってデ-タを移すとある.然し旧PCのインタ-ネットラインは外したし、再度繋ぎたくない.私としてはHomepageのデ-タは既にファイルとして新PCに引っ越し済なので、FTP(File Transfer Protocol)さえ利用出来れば、FTPサ-バ-に自分のHomepageを転送可能だろうと考えた. そこで新規購入のHomepage Builder21をインスト-ルし、僅かな知恵を働かせてFTPを起動させれば更新出来ることが分かった.これでHomepageの更新は多分OKになったと思うが、恥ずかしながら未だHomepage21の完璧な使用方法はもとより、Microsoft Officeに含まれているWord 2019やExcel2019なども全く知らず旧い知識で何とか新PCを使っている.今後折々に学んで行こうと考えている.
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4.山吹 | 2020.5.1 |
散歩道に咲く山吹 2020年4月16日 |
「七飯八重 花は咲けども 山吹の 実の一つだに
無きぞあやしき」 兼明親王(かねあきらしんのう) 後拾遺和歌集 私が住む所の近くに座間市が整備した幅4mくらいのアスファルト舗装の遊歩道がある(全長:約2km).私はその道を何時も散歩するので、私の散歩道と言っている.皐月を迎え薫風とも言えそうな風を受けて、八重咲の桜の花が散るのを頭上に受けながら歩くと暫し新型コロナウイルス感染症の恐怖心を忘れてしまう. この散歩道に やまぶき(山吹) が群生している. 上の写真がそうだが、地面の白いのは桜の花びらである.この山吹には子供の頃と高校生の頃の思い出がある.以前にも書いたが山吹の花を見るとどうしても昔を想い出してしまう. 子供の頃、この枝を短く切って腕などに付けると枝から出る粘液でしばらくトゲのようにくっついているのが面白くてよく遊んだものだ. この「山吹」の群生を見ると思い出すのは太田道灌の故事である. よく知られている故事だが、江戸城築城で有名な太田道灌が鷹狩りの途中雨に出会い、近くの貧しげな家に寄り雨具を借用しようとした. 応対に出た若い娘さんが 恥ずかしげに一枝の山吹を差し出したが、道灌は意味が分からず馬鹿にされたと思い怒って帰宅した. 後で家臣から娘さんの行為は「七飯八重 花は咲けども 山吹の 実の一つだに 無きぞあやしき」という古歌に寄せて、蓑の一つさえ持てない悲しさを山吹の枝に託したものだ、と聞かされて、道灌は意味が分からなかった我が無知を恥じ歌道に励んだという. 実際には山吹には実が生るそうだが、八重咲きの山吹には実が出来ないそうだ. 私は長い間、句の最後は 無きぞ悲しき と覚えていたが、どうもこれは江戸古典落語の噺の「道灌」 から来ているらしい. 原典は 白河天皇の命により 藤原通俊 が編纂した勅撰和歌集の「後拾遺和歌集」にあり、兼明親王 作で 無きぞあやしき となっている. 私は今でも 無きぞ悲しき として覚えている. この太田道灌の故事は確か高校の国語で習ったように記憶しているが、今でも教科書に載っているのだろうか! 散歩道の桜の木々の花は大半は散ってしまったが、今でも八重咲きの花は満開か、少し散り始めている.数年前、この散歩道に何種類の桜が植えられているか数えたことがあった.下の一覧表で分かるように46種もの桜の木が植えられているのに改めて驚いた.
上記の桜に珍しい名前が幾つもある.それらの幾つかを写真で紹介しよう.
右下の桜には「須磨浦普賢象」という珍しい名前がついている.更に珍しいのは八重咲きの花の色が
この散歩道には色々な植物が植えられている.名前を知っていても現物との対比がままならない.そこで名札を頼りに何種類あるか散歩時に数えてみた.下欄が示すように34種もの植物が植えられている.ゆっくり見比べながら歩くのは楽しい.
ところで我が愛読書「萬葉古今新古今の研究、昭和29年4月10日 光風館発行」の古今集の項目に下記のような歌が載っている. 世のなかに たえて桜の なかりせば 春のこころは のどけからまし 在原業平朝臣 古今集 本書によれば、 「訳」として:この世の中に、若しも全く桜が無かったならば、春の我が心は落ち着いてのどかなことであろう. 「評」として:桜故に、その咲き散るにつけて心を悩まし、のどかな春にも却って長閑な心を持てないという歎きの心を、逆説的に、理知的に表現している歌で、心としては桜に対する耽美的感情である. 世のなかに たえてコロナの なかりせば 皆のこころは のどけからまし 作者不詳 この歌には、逆説的且つ耽美的な要素は全くなく、文字通りの解釈で良いだろう.新型コロナウイルス感染症が一刻も早く終息し、皆が落ち着いて季節の移り変わりを楽しめる日が来ることを心から願っている.
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5.惜別 | 2020.8.1 |
亡き友人を偲ぶ Val d'Isere France 2006.02.07 |
[挽歌]とは 「人の死を悼んで作る詩歌、哀悼歌」のことである. 挽歌四首 あす知らぬ 我身と思えど 暮れぬまの けふは人こそ 悲しかりけれ 紀貫之 古今和歌集 すみぞめの 君がたもとは 雲なれや たえず涙の 雨とのみふる 壬生忠岑 古今和歌集> 亡き人の かたみの雲や しいれるらん 夕べの雨に 色はみえねど 太上天皇 新古今和歌集 あるはなく なきは数そう 世の中に あはれいずれの 日まで嘆かむ 小野小町 新古今和歌集 Thou Knowst 'tis common,all that live must die, Passing through nature to eternity. William Shakespeare [Hamlet i.2 ] 生(いのち)あるものは死するが世のならい、 現世を通って永遠におもむく. 別宮貞徳訳 ウイリアム シエイクスピア 「ハムレット 1幕2場」 We are such stuff, As dreams are made on,and our little life, Is rounded with a sleep. William Shakespeare [The Tempest ⅳ] 人の身を織るのは夢と同じ糸. そのささやかな人生は、 眠りによって輪をとじる. 別宮貞徳訳 ウイリアム シエイクスピア 「あらし、4幕1場 」 7月1日の夕刻6時を過ぎた頃電話が鳴った.北海道当別町からだった.鎌倉に住む義理の弟さんが今亡くなったとの知らせだった.義理の弟さんとは、私のスキ-仲間の一人で長年の友人のことである.本年3月に突然白血病で入院し、6月初めに退院して自宅療養中とは知っていた.まさか亡くなるとは思いも及ばず絶句した.未だ77歳という若さ(私と比べれば)なのに大変残念である. 私がスキ-を止めたのでここ数年会う機会がなかったが、No news is good news(便りが無いのは良い便り)と元気に過ごしていると思っていた.翌朝には奥様から亡くなられたとのメ-ルを頂いた.新型コロナ感染症蔓延の折、病院へ見舞いに行く事も憚られ行かず仕舞いとなったことが強く悔やまれた.またお通夜、告別式にも出席せず本当に悔しく申し訳なく思っている. 思い返せばこの友人と初めて出会ったのは2002年3月スイスのZurich空港の荷物受け取り場だった.その時私は単身Grindelwald(グリンデルワルト)へスキ-に行くところで、この友人も奥様とご一緒にGrindelwaldを目指していた.私が単身で滑ることを知り一緒にと誘って貰ったのが縁でその後色々な場所で一緒に滑るようになった. 私の大学の教養部時の同級生がこの友人の会社で同僚だったことが分かり、一気に身近な存在になった.スイスのマッタ-ホルンで有名なZermatt(ツエルマット)では2回(2年)、イタリ-のCortin d'Ampezzo(コルチナ ダンペッツオ)やフランスのVal d'Isere(ヴァルデイゼ-ル)でも彼と彼の奥様と一緒に滑った.欧州アルプスのみならず日本の苗場や北海道のニセコアンヌプリでも一緒だった.ニセコには何回も一緒だったがもう回数を忘れてしまった. 彼は確かスキ-の指導員の資格を持っていたと思うが、私が万一転倒したら起き上がるのを助けようと、常に私の後方を滑っていたので、自分の好きなように滑れなかったろうと考えると大変申し訳なく思っている. 彼と奥様は夏にもスイスを旅され、ある年私が家内とGrindelwaldで貸別荘を借りて長逗留していた時は、Grindelwaldから列車で35分ほどのInterlaken駅で落ち合い隣の駅のBrienzからスイスでは2か所しかないという山岳蒸気鉄道、Rothorn(ロ-トホルン)鉄道、でRothorn(2351m)へ上ったこともあった. 日本では、スキ-が上手な私の大学同級生を加え彼と奥様の4人で暑気払いとか忘年会とか新年会とか称して飲み会も度々行った.彼は煙草は吸わないが酒豪でとても私は太刀打ち出来なかった. パソコンの横の壁に「Grindelwald 2012」というタイトルの、彼からスイス土産にと貰った、月毎にめくるカレンダ-が掛かっている.暦としては使用出来ないがGrindelwaldを囲む美しい山々の写真が付いているので今でも毎日眺めている.それらは、Eiger(3970m),Mönch(4107m), Schreckhorn(4078m), Silberhorn(3695m),Wetterhorn(3692m)などなどである.今までは美しい山を眺めるだけだったが7月以後は眺める度に彼のことをあれこれ思い出している.もう会えないと思うと寂しい気持ちがふつふつと湧き上がる. 心から冥福を祈っている.合掌 =================================================== スイスには夏冬併せて9回行った.Grindelwald 4回、Zermatt 4回、St.Moritz 1回である.以前にも書いたが、学生時代に真冬のニセコ連山(北海道、ニセコアンヌプリ、チセヌプリ、ニトヌプリ、ワイスホルン)を縦走且つ滑った時に1本の木もない白銀に輝くワイスホルンの頂きを見た時、そして大学の恩師から聞いたGrindelwaldのこと、新田次郎著「アルプスの谷 アルプスの村」に出会ったことなどが引き金となりスイス詣でが始まった. 1964年から2年間Stockholmに駐在した.最低月に一度は英国や欧州大陸に出張した.スキ-シ-ズンには常にス-ツケ-スにスキ-靴や服を入れて出張した.機会があればスイスで滑ろうと願っていた.多分3月頃だったと思うが、英国の仕事が早く終わり金曜日に空きが出来た. そこで直接Stockholmへ帰らずZurichへ飛び案内所でベストのスキ-場を尋ねZermattを教えて貰った.これがスイス訪問の初めとなった. 土曜日1日しか滑る日が無かったので当時流行のメタルスキ-(日本では未だヒッコリ-の合板が主流だった)を借りて暗くなるまで滑った. 当時はリフトやゴンドラ等の設備が少なく、確かロ-プト-リフト(ロ-プに引っ張られて上がる)の終点に雪上車が待っていた.雪上車から垂らした何本ものロ-プにスキ-ヤ-夫々がつかまって更に高地へ上がった.折角の機会と喜んで夕暮れも気がつかない程夢中で滑っていたので最後はパトロ-ルの人たちに追い立てながら街へ下った.それからもう55年が過ぎた. 昔山スキ-をやっていた頃は山へスキ-を履いたままで登るには、後ろに下がらないようにシ-ルという文字通り海豹の毛皮を帯状にしたものをスキ-の滑走面に取り付けた.スキ-が逆滑しそうになると毛皮の毛(剛毛)が逆立ち雪面との抵抗で逆走を止める.前に進むときは毛が倒れ抵抗が少なくなる.先日TVを見て驚いた. 現在はシ-ルの代わりにスキ-アイゼン(金属製で板の両サイドに取り付ける)なるものを付けている.55年前とは時代が違う.用具も進歩するのは当然だろう. |
アイガー北壁を背に (Eiger 3970m) 2002.03.02 |
6.秋声 | 2020.11.15 |
St.Anton (サンアントン オ-ストリア) 1965年12月末 |
11月も半ば近くになり暦では晩秋の候を迎えた.我がマンションの桜もかなり葉を落とし掃除担当の人たちが毎日葉を集めるのに苦労している.私の散歩道では数多くある桜からの落ち葉が地面にうず高く積もるほどである.然しよくよく見ると、冬桜や10月桜が一枚も葉のない枝からひっそりと白い花を咲かせているではないか! 秋とは言え虫の声は既になく、ただ”ひたぶるにもの悲し”とばかりに物憂い日々が続く.それも全国にはびこる新型ウイルス感染症(コロナウイルス)の為せる業なのか! 今年はとても秋の風情を楽しむ気持ちにはなれない.それでも季節は秋、そう思えばいつものように必ず口ずさむ古歌や脳裏を横切る言葉がある. 秋来ぬと 目にはさやかに見えねども 風の音にぞ おどろかれぬる 藤原敏行朝臣 古今和歌集 ”秋たつ日よめる”という題のこの句は、私の黄色に変色した愛読書「萬葉古今新古今の研究(1954年3月購入)に掲載されているがよほど気にいったのか赤丸がついている.この句のおどろかれぬるはそれほど強い意味のものではなくおやと感じたという程の意のものであろうと説明があるが、私は高校の授業で目が覚めるの意と教えられた記憶がある.大好きな句である. 心なき身にも あはれは知られけり 鴫立つ沢の秋の夕暮れ 西行法師 新古今和歌集 秋の夕暮れを想うと何とももの悲しくなる、典型的な秋の風情の歌である. Chanson d'automne 「秋の歌 (落葉)」 Paul Verlaine (ポ-ル・ヴェルレ-ヌ) 落葉 上田 敏 訳 (1) (2) 秋の日の 鐘のおとに ヰ゛オロンの 胸ふたぎ ためいきの 色かへて ひたぶるに 涙ぐむ 身にしみて 過ぎし日の うら悲し おもひでや 幾人もの訳者がいるが、私は上田 敏訳のこの詩が大好きだ.この詩を思い浮かべる度に気持ちが沈み、いかにも秋の寂しさを思わせる. 一筆啓上 火の用心 お仙泣かすな 馬肥せ 戦国武将 本多重次(通称:作左衛門、さくざえもん)が天正3年(1575年)長篠の戦いの陣中から妻に宛てて書いた手紙で、日本一短い手紙として有名である. 6月頃出した手紙で秋とは関係ないが、馬肥せの文字が、天高く馬肥ゆる秋のことばを連想させるのだろう. 偶成 (漢詩) 朱熹 少年老い易く学成り難し 一寸の光陰軽んず可(べ)からず 未だ覚めず池塘春草の夢 階前の悟葉已(すで)に秋声 朱熹は中国南宋の儒学者で、この詩は偶成という題である.池塘春草とは、池のほとりの堤に萌え出る若草のこと.階前の悟葉とは、階段の前の青桐の葉のこと. この詩の秋は季節の秋というよりも寧ろ時間の経過の速さを意味していると思う. 桐一葉(ひとは)落ちて天下の秋を知る 片桐且元(かつもと) 明治時代、坪内逍遥の戯曲「桐一葉」に豊臣家の直参家臣の片桐且元が豊臣家と自分の悲運を嘆く場面で、桐一葉が落ちて天下の秋を知る情景が描かれている.この戯曲によりこの言葉が一躍有名になった. 北大生の頃、夏休みで帰省し9月を迎える頃、縁側でぼんやり庭先を眺めていた.桐の木から葉がハラリと落ちるのを目の当たりして、この言葉を思い浮かべたのをはっきりと覚えている.単純にもう夏休みが終わりに近づき秋を目前にして札幌へ戻る頃だとつくづく思ったものだ. 釣瓶(つるべ)落としといへど 光芒(こうぼう)しずかなり 水原秋櫻子 ”秋の日は釣瓶落とし”と言う言葉があるが、あっという間に陽が落ちてしまう様子を述べている.子供の頃は桶に紐をつけて(つまり釣瓶)井戸に落とし水を汲む光景を見ていたが、現在、釣瓶で水を汲む所は無いだろうし、釣瓶という名称ももう廃れたことだろう. 間もなく勤労感謝の日(11月23日)を迎える.凡そ60年も昔の今頃は連日北大工学部の屋上に上がり、遥か西方に見える手稲山(札幌市近郊、1023M)を眺めて、積雪があるかチェックしていた.そして勤労感謝の祝日が例年私の初滑りの日だった.頂上近くにHBC(北海道放送)のテレビ塔があり、メンテナンス用の車が登る車道があった.積雪が30cm~50cmも有れば十分車道の上を滑れた.約10kmの下りを転ばずに滑れるかが問題だった.4年目(4年生)になって初めて一度も転ばないで滑り降りることが出来た.とても嬉しかった. この手稲山の中腹には、日本初のスキーヒュッテと言われている、北海道大学のパラダイス・ヒュッテがあった.スキー部が管理を任されていたので、合宿をしては滑る練習をしたのを覚えている. ところで上と下の写真は、スウエ-デン駐在時に1965年末の暮れから新年にかけて、正月休みを利用して行ったサンアントン(St.Anton,Austria)で撮ったものである.スライドになっているので、フィルムスキャナ-なるものを購入し、それを使用して画像をSDカ-ドに落とし、そのSDカ-ドをPCに挿入して画像を再現した. 因みに、スキーは2m5cmのKÄSTLE(ケスレ-、ヒッコリ-、合板)、ストックはSANDVIK,締め具(ビンデイング)はセ-フテイラングリ-メンである. 全てSTOCKHOLMで調達した. |
St.Anton (サンアントン オ-ストリア) 1965年12月末 |
7.五節句 | 2021.03.02 |
Matterhorn (4478m) |
”もう幾つ寝るとお正月”、”年の初めのためしとて”、と口ずさんでいたらアッと言う間もなく新年を迎えそして早や3月となってしまった.新型コロナ感染症の蔓延に脅え(感染者数が減少傾向にあるとは言え未だ油断は出来ない)出来るだけ家に籠る日々だが健康維持の為散歩は欠かせない.「サクラ百華の道」と名付けられた我が散歩道には多種の桜が植えられているが、最近の陽気に誘われて、大漁桜・修善寺寒桜・オカメ・寒緋桜・寒桜・大寒桜・椿寒桜そして河津桜が今や満開である. 散歩道の傍らに小さな広場があり例年2月末からテントを張ってお雛様を展示している.昨年はコロナの影響で、密集を避けて展示は中止された.多分今年も中止だろうなと思い乍ら歩いているとふとラフカデイオハ-ン(Patrick Lafcadio Hearn, 小泉八雲)の著書KWAIDAN(怪談)に出て来るFestival of Choyo(重陽の節句)を思い出した.凡そ65年~66年前、高校生だったころ英文で読んだがこのFestival of Choyoという文言に強く印象付けられて現在も記憶に残っている.多分その時に調べたのだろうが、日本には幾つもの節句があるが主なる節句としては下記の五節句がある. 人日(じんじつ) 1月7日 (七種、ななくさ) 上巳(じょうし) 3月3日 (桃の節句、雛祭り) 端午(たんご) 5月5日 (菖蒲の節句) 七夕(しちせき) 7月7日 (たなばた) 重陽(ちょうよう) 9月9日 (菊の節句) 節句とは中国から伝わった風習で多くの節句があったが、江戸時代に幕府が公的行事として定めたのが上記の五節句であり、節目の日という意味で使われていた. 明日は3月3日、上巳の日、雛祭りである.老夫婦だけの二人暮らしの我が家にも小さなお内裏様とお雛様が飾られている.子供の頃唄った「うれしい雛祭り」を自然と口ずさむのは何故だろうか? 前述の童謡「お正月」や唱歌「一月一日」なども覚えているのは、その頃は娯楽が少なくて時折の行事を待ち焦がれていて覚えたのが時を経ても脳裏に刻まれて残っていたのかも知れない. 童謡 「うれしい雛祭り」 作詞:山野三郎 作曲:河村光陽 あかりをつけましょ ぼんぼりに おはなをあげましょ もものはな ごにんばやしの ふえたいこ きょうはたのしい ひなまつり 雛祭りが終わると卒業式のシ-ズンが到来する.新型コロナ感染症の影響で例年通りの式は出来ないかも知れないと思うと卒業生達を不憫に思うが、若さの持つエネルギ-でこの難局を突破して欲しいと願っている. ”昨年の10月に100歳になりました.東京オリンピックを楽しみにしています”という年賀状を元上司だった方から頂き嬉しかった.私はその賀状を見て、元上司を目標に100歳を目指して頑張ろうと誓った.然し残念ながら今年1月末に、東京オリンピックを待たずしてお亡くなりになった.毎年この上司の部下達が「上司を囲む集まり」で元上司にお会いしていたが昨年はコロナの影響で中止となり、また会社のOB会も中止となり一昨年以来お会い出来なかったことが悔やまれる.北大生だった時短期間だったが「スキ-部山班」に属し山岳スキ-に興じていた頃、合宿のテントの中で皆で合唱を楽しんだ.その時頻繁に合唱したのがドイツ民謡 「Muss i denn(ムシデン、別れの歌)」だった.訃報を聞いて以来このムシデンを歌い、昔の会社勤めや、元上司を想っている. 元上司が亡くなられて一週間も経たぬのに、私のかっての同僚の訃報が届いた.彼は私が元上司の後を継いで部長(営業技術部)をしていた時次長として支えて貰った.仕事以外でも下手の横好きで硬式テニスをしていたが、彼は先生役でいろいろ教えを受けた.立て続けの訃報にガックリ来ているが、100歳を目指す者にとっていつまでも塞ぎ込んではいられない. 前にも書いたが、私の座右の銘というか好きな言葉に「Grow old along with me!, 一緒に年を取ろう!」がある. Grow old along with me! The best is yet to be, The last of life for which the first was made. Robert Browning "Rabbi Ben Ezra" いっしょに年をとろう! 最上のものはまだ先にある。 人世の最後、その為にこそ最初は作られた。 ロバ-ト・ブラウニング 「ラビ・ベン・エズラ」 別宮貞徳 訳 最上のものは未だ先にある.然し何が最上のものかは分からない.それでも100歳を目指し、最上のものを見極めたい.先ずは健康第一に歩こう、サクラ百華の道を.そして大好きな歌 「早春賦」を歌いながら. 童謡・唱歌 「早春賦」 作詞:吉丸一昌 作曲:中田 章 春は名のみの風の寒さや 谷の鶯歌は思えど 時にあらずと声も立てず 時にあらずと声も立てず 氷解け去り葦は角ぐむ さては時ぞと思うあやにく 今日もきのうも雪の空 今日もきのうも雪の空 春と聞かねば知らでありしを 聞けば急かるる胸の思いを いかにせよとのこの頃か いかにせよとのこの頃か |
逆さMatterhorn (Riffelsee 2757m Zermatt スイス) 2009年8月 |
8.利休ねずみ | 2021.09.22 |
Matterhorn ( 4478 m、 スイス) 1966年3月 |
実は6月にこのホ-ムペ-ジを更新しようと思っていたが一日延ばしにしてしまった.気が付いたらもう秋になっていた.怠惰な日々を恥ずかしく思っている. 私の散歩道は正しくは「さくら百華の道」といい幅5メ-トル、長さ1000メ-トル程のアスファルト道である.道の両側には多種の桜の木や色とりどりの花が植えられている.平日は歩く人は少なく稀に猫が大きな顔をして道の中央に寝転んでいる.人が近寄ろうが、散歩中の犬が近寄ろうが平気で動こうともしない.私は頻繁に歩く(散歩する)この道を京都の哲学の道を倣って勝手に「思索の道」と呼んでいる.ほぼ日課の散歩でこの小道を歩きながらいろいろと物思いに耽るのは楽しい. 「山路を登りながらこう考えた.智に働けば角が立つ.情に竿させば流される.意地を通せば窮屈だ.とかく人の世は住みにくい.」 この文章は知っている方も多いと思うが、夏目漱石の「草枕」の冒頭に出て来る名文である.つまり人づきあいの難づかしさを説いた文である.散歩道を歩きながらこの文章を思い出した.COVID-19(新型コロナ感染症)のため3密を避け専ら家に籠る今なら、このような面倒は起きないだろうとつくづく考えた. 大分前になるが梅雨の季節に、昔と違い ”しとしとと降る小糠雨のような風情はもう無くなり、大雨、土砂崩れをもたらす雨” になって仕舞ったが、「城ヶ島の雨」を思い出しては、歌声を聞きたくなった. 「城ヶ島の雨」 作詞:北原白秋 作曲:簗田 貞(やなぎだ ただし) 雨はふるふる 城ヶ島の磯に 利休ねずみの 雨が降る 雨は真珠か 夜明けの霧か それとも私のしのび泣き 利休ねずみとは色の名前、緑色を帯びたねずみ色、灰色、のことである.思索の道を歩きながら、歌詞は大好きだが何故降る雨が利休鼠の雨なのかと発想を不思議に思った. そう言えばオ-ドリ- ヘップバ-ン(Audry Hepburn)が歌う「テファニ-で朝食を(Breakfast at Tiffany's)」の主題歌「Moon River」にも良く分からない歌詞があり不思議に思っている. Moon River 作詞:Johnny Nercer 作曲:Henry Mancini Moon River, Wider than a mile; I'm crossing you in style Some day. Old dream maker, You heart breaker, Wherever your goin', I am goin' your way: Two drifters, Off to see the world, There's such a lot of world , To see. We're after the same Rainbow's end Waitin' round the bend, My huckleberry friend, Moon River and me. この歌詞にはMy huckleberry という表現があるが、アメリカ人作家のマ-ク トウエイン(Mark Twain)が書いたトムソ-ヤの冒険(The Adventure of Tom Sawyer)の主人公トム ソ-ヤの親友、ハックルベリ- フィン(Huckleberry Finn)の名前に由来し古い友人という意味らしい. 作詞家にはそれなりに思いがあって書いたのだろうが、私は余り回りくどい表現ではなくもう少し単純な表現の方が分かり易いと思った. さて今年の夏は大雨や洪水、土砂崩れ、猛暑、低温の日々が続いたが、そしてCOVID-19 対策の「緊急事態宣言」や「まんえん防止等重点措置」の発出や延長などで大騒ぎをしている内に過ぎてしまった感がある. 例年だと、夏の気配を感じると幾つかの歌を思い出していた. 歌曲 「夏は来ぬ」 作詞:佐々木信綱 作曲:小山作之助 卯の花の 匂う垣根に 時鳥(ホトトギス) 早も来鳴きて 忍音(しのびね)もらす 夏は来ぬ 童謡・唱歌 「夏の思い出」 作詞:江間章子 作曲:中田喜直 夏が来れば 思い出す 遥かな尾瀬 とおい空 霧の中に うかびくる やさしい影 野の小路 水芭蕉の花が 咲いている 夢見て咲いている水のほとり 石楠花(しゃくなげ)色に たそがれる はるかな尾瀬 遠い空 夏が来る度にこの歌を思い、遥か尾瀬の水芭蕉を想った.何か遥か遠いところに無限の夢が待っているような思いがあった.いや今でもある. 7月も終わる頃、NHKのBS放送で映画「ミッドナイト イン パリ(Midnight in Paris)」を観た.余り興味が無かったがパリという言葉に魅かれて観た.ところが映画の冒頭に昔懐かしい映像が多く出たので次第に惹き込まれた.映像は2011年のパリ市街を映していたが、凡そ36年~56年前に仕事で幾度も訪ねたパリの様子と殆ど変わっていないように見えた. シャンゼリ-ゼ、凱旋門、キャバレ-「リド」、エッフル塔、セ-ヌ川(河)、ノ-トルダム寺院、ル-ブル美術館、モンマルトルの丘、サクレ・ク-ル寺院、キャバレ-「ム-ラン・ル-ジュ」、カルチェ・ラタン(?)などなど観光名所ばかりであるが往時の自分を想い浮かべてとても懐かしく録画して繰り返し街並みの景色を観た. 映画は1920年頃のパリに迷いこんだ作家志望の若いアメリカ人が主役を務めている.彼が毎夜巡り合った多くの芸術家(自称)が登場する.その登場人物を見て大変驚いた.名前を知っている人ばかりだ.以下順不同で書くと、パブロ ピカソ、ヘミングウエイ、サルバド-ル ダリ、モリジア-ニ、アンリ マテイス、ロ-トレック、ポ-ル ゴ-ギャン、エドガ- ドガ、スコット フィツジェラルド、ウイリアム フォ-クナ-、コ-ル ポ-タ-、ジョセフィン ベ-カ、ジャン コクト-、ガ-トル-ド スタイン等の作家、画家、音楽家、芸術家の皆さんである. 1920年代のパリを舞台に数多くの芸術家が登場し甘く幻想的且つ感傷的な時代を彷彿させる作品に酔いつぶれて仕舞った.脚本・監督はウデイ アレン(Woody Allen)が務め第84回(2012年)アカデミ-脚本賞を受賞した. 凱旋門からシャンゼリ-ゼ通りをコンコルド広場へ向かって歩くと、右側の少し離れた所に高級ホテルの「ジョルジュ サンク(ジョ-ジ五世)」ホテルがあった(多分今もある). 若造が泊まれるようなホテルでなく、一度偵察を兼て喫茶室でコ-ヒを飲んで退散したことがあった.左側にはキャバレ-「リド(Lido)」があった(今は?).同業のパリ駐在員を誘って数回訪れた.JALの機長に連れられたスチュワ-デス(今のCA)一行と一緒になったこともあった. 多くの人が憧れるフランス、パリであるが私には苦手なところである.フランス語は片言しか話せず、相手も殆ど英語を話さないので、コミュニケ-ションが上手く行かず大変だった. 夏が来ると必ず思いだす句がある. 閑さや 岩にしみ入る 蝉の声 立石寺(山寺)にて 夏草や 兵(つわもの)どもが 夢の跡 平泉にて 「奥の細道」 松尾芭蕉 北大生だった頃、夏休みで札幌から福島県の両親の元へ東北本線の急行に乗り、ク-ラ-など付いていなかったので、蒸気機関車の煙で煤まみれになって(暑いので窓を開け放しにすると煙が入って来る)帰省した.その際盛岡駅や仙台駅を通る度に上記の句を思い、平泉や山寺を訪れ芭蕉の句が醸し出す余韻に浸りたいと願った.然し卒業までには実現出来ずやっと会社勤めを終えててから訪ねることが出来た. 8月15日は終戦記念日である.敗戦記念日と呼ぶべきという意見がある事を知った(多分新聞で).朝日新聞にピ-タ- マクミラン氏(アイルランド出身、日本文学者、翻訳者)の「詩歌翻遊」という名の連載がある.私は愛読者の一人だ.彼は8月15日の紙上に終戦記念日に因んで、女流歌人、与謝野晶子作「君死にたまふことなけれ」の第3番目の詩とその英訳をを書いている.かなり難しい文章なので、もう少し分かり易い(と私は思う)第一番目の詩を紹介する. 「君死にたまふことなかれ」 与謝野晶子 (旅順の攻囲軍にある弟宗七を歎きて) ああ、弟よ、君を泣く、 君 死にたまふことなかれ. 末(すえ)に生まれし君なれば 親のなさけは勝りしも、 親は刃(やいば)をにぎらせて 人を殺せと教へしや、 人を殺して死ねよとて 廿四(にじふし)までを育てしや. この詩は、第二次世界大戦以前の日露戦争に従軍した弟の身を案じて作られた. 国を挙げて戦争に勝とうとしていた時代に、このような反戦詩を公表するとは、随分胆力のある強い女性だと言える.日露戦争であろうと、第二次世界大戦であろうと互いが殺し合うことに違いはない.現在の平和な日々が永遠に続くことを願って止まない. もう9月も半ばを過ぎ彼岸が始まった.9月の声を聞いたら一気に気温が下がり残暑の言葉を使うことも出来ない. 木の間より もりくる月のかげ見れば 心づくしの秋は来にけり 詠み人しらず 古今和歌集 ちはやぶる 神代も聞かず竜田川 からくれなゐに 水くくるとは 在原業平朝臣 古今和歌集 見わたせば 花も紅葉もなかりけり 浦の苫屋(とまや)の秋の夕暮れ 藤原定家朝臣 新古今和歌集 9月になると、未だ灯火親しむの候には未だ早いが、読書の秋が来たと言われる.私は秋とは言わず年中読書に励んで来た.自分の読書歴は、日本の作家では、森鴎外、夏目漱石、太宰 治、島崎藤村、志賀直哉、有島武郎、芥川龍之介、宮沢賢治、谷崎潤一郎、川端康成、三島由紀夫、武者小路実篤 あたりで打止めであとは乱読を重ねて現在に到っている. 疲れた(?)頭脳を休ませると称して、野村胡堂の「銭形平次捕物控」全巻や吉川英治の「宮本武蔵」全集なども読み漁った.外国文学(主として英米文学だが)も結構読んだ.ヘミングウエイ(Ernest Hemingway,アメリカ人小説家)、サマ-セット モ-ム(Somerset Maughm,英国人小説家)、シェ-クスピア(William Shakespeare,英国生まれの作家、詩人)、の作品は格好つけて英文を読んだ.モ-ムの作品に「月と6ペンス、The Moon and Six Pence)」があるが、仕事でシンガポ-ルに行った時彼がこの作品を書いたとされているラッフルズ ホテル(1980年当時、Raffles)を見に行ったことがあった.因みに私は同じコロニアルスタイルのグッドウッドパ-ク ホテル(Goodwood Park)の方が好きで、頻繁に訪れたシンガポ-ルでは定宿にした. 英文を読んだと書いたが、シェ-クスピアの作品は初期近代英語で書かれていて理解するのが難しかった.想像力を働かせばまあまあ読めたが、結局近代(現代)英語に直した本を読んだ.休暇で英国を旅した時、彼の出生地、ストラトフォ-ド=アポン=エイボン(Stratford-upon-Avon)を訪れた. 読書の秋は未だ続く.疲れた(?)頭脳を休ませる為に、翻訳本だが、警察小説、冒険小説、弁護士小説、スパイ小説、テクノスリラ-小説なども沢山読んだ.以下作家を羅列する. スタンレイ ガ-ドナ(Stanley Gardner、ペリ- メイスンシリ-ズ)、 ジョン グリシャム(John Grisham)、マイシュ-バル/ペ-ル ヴァ-ル-(Maj Sjöwall/Per Wahlöö,スウエ-デン人作家,夫婦)、アリステア マクリ-ン(Alistair Maclean)、イアン フレミング(Ian Fleming,007シリ-ズ)、トム クランシイ(Thomas Leo Clancy Jr.)などなどである. この文章を書いている今夜(9月21日)は中秋の名月だ.筆を止めて外へ出てみた.少し雲が掛かっていたが眩しいくらい満月が輝いていた.子供の頃は、縁側に机を出しススキと団子を飾って満月を愛でた風習があったが今はどうだろう? 私は日本酒は殆ど嗜まないが、大好きな句がある. 白玉の 歯にしみとほる秋の夜の 酒はしずかに飲むべかりけり 「路上」 若山牧水 |
St.Anton ( Austria ) 1966年1月 |
9.別離 | 2022.07.16 |
Matterhorn ( 4478 m、 スイス) 2013年7月12日 故H氏 画 |
Eiger, Mönch and Jungfrau (スイス) 2013年7月10日 故H氏 画 |
10.夏 | 2023.08.23 |
Eiger、3970m、北壁日本人直登ル-ト(青色)、 スイス 2008.07.04(撮影) |
「どっこい生きている」という映画がある.1951年に公開された今井 正監督の映画である.私も”どっこい生きています”.前回の更新日を見て驚いた.もう1年以上経っている.今年になってから更新しようと考えていたが、その気力が無くなってしまったのか我ながら悔しく思う. 今年の夏は連日猛暑が続いている.国連事務総長のグテ-レス氏(Guterres氏)は地球温暖化の時代は終わり、地球沸騰化の時代の到来と警鐘を鳴らしている.この先沸騰化に因る災害が多発するのではと恐れるばかりである. 1970年~1980年頃の神奈川県相模原市の我家にはエアエコンは無かった.それでも夏も冬も過ごせた.今は猛暑の夏はエアコン無しではとても過ごせない.最近の新聞やTVのニュ-スに依ればエアコンを使用しないで熱中症で亡くなる老齢の方が増えているそうだが、高齢者の一人である私にはとてもエアコンを使わない夏など考えられない.然し最近は年のせいなのか夏場の高温を感じる程度が弱くなって来たように思う. 中学2年生から大学1年生までは福島県石城郡(いわきぐん)四倉町(現いわき市四倉町)に住んでいた.四倉町は海岸に添った町で2年間通った中学校は海岸の直ぐ近くに建てられていた.夏になると下校時には町中の道を通らず、数分で学校から行ける海岸に向い波打ち際を歩いて帰宅した.暑いと思ったら一緒に帰宅中の何人もの友達は海に飛び込んで泳いだ.海の近くで育った彼らは海水浴場など念頭になくどこでも平気で泳いだ.私は山育ちの転校生で、一度溺れかけたこともあってとても海に飛び込む勇気はなかった.家は海岸から数百メ-トルしか離れてなかったので夜になり周りが静かになるとザブン、ザブンと波の音が聞こえて来た.大津波が来たら多分流されただろう.四倉町には海水浴場があり夏になると多くの海水浴客をバスが運んで来た.このバスを見る度に夏の到来を感じた. 「浜辺の歌」 1916年 唱歌 作詞:林 古渓 作曲:成田為三 あした浜辺を さまよえば 昔のことぞ しのばるる 風の音よ 雲のさまよ 寄する波も 貝の色も ゆうべ浜辺を もとおれば 昔の人ぞ しのばるる 寄する波よ かえす波よ 月の色も 星のかげも 夏の夜は まだ宵(よひ)ながら 明けぬるを 雲のいずこに 月宿(やど)るなむ 清原深養父(きよはらのふかやぶ) 古今集 夏は夜、月のころはさらなり、闇もなほ、蛍の多く飛びちがひたる. また、ただ一つ二つなど、ほのかにうち光て行くもをかし.雨など降るもをかし. 清少納言 枕草子 2008年夏(6月~7月)、妻の故郷のスウエ-デンに行く途中スイスのグリンデルワルド(Grindelwald)に立ち寄った.1週間ほどChalet(シャレ-,貸別荘)を借りて滞在した.はっきりした場所は忘れたがゴンドラで上がった所のGrindelwaldの村を見下ろすところにアイガ-北壁(Eigernordband)直登の記念碑があった.上の写真がそうである.青色点線が日本人が成功した直登ル-ト(Japaner Direttissima)を示している. アイガ-北壁(Eiger,3970m)はアルプス3大北壁の一つで、あとの二つはグランドジョラス北壁(GrandesJorasses,4208m)とマッタ-ホルン北壁(Matterhorn,4478m)である.1969年8月15日、今井通子さんを含む計6人の日本人登山家が直登に成功した. 今井通子さんは名前通りの女性登山家であるが、女性登山家としては、田部井淳子さんを忘れてはいけない.田部井さんは1975年、女性初のエベレスト(8848m)の登頂に成功した登山家である.そして世界初の女性七大陸最高峰登頂者としても知られている. 七大陸最高峰とは、Wikipediaに依れば下の山々を指すようだ. アフリカ大陸 Kilimanjaro(キリマンジャロ、タンザニア、5895m) 南極大陸 Vinson(ヴィンソン、4892m) オーストラリア大陸 Kosciusjko(コジオスコ、オーストラリア、2228m) アジア大陸 Everest(エヴェレスト、中国、ネパール、8848m) 北アメリカ大陸 Denali(デナリ、旧マッキンリー、アメリカ、6190m) 南アメリカ大陸 Aconcagua(アコンカグア、アルゼンチン、6961m) ヨーロッパ大陸 Elbrus(エルブルス、ロシア、5642m) 田部井さんは福島県田村郡三春町小学校を卒業したが、私も6歳の時川崎から疎開で三春町に来て小学5年生まで住んでいた.田部井さんは私より2歳年下なので私が5年生の時3年生だった筈.ひょっとしたら小学校の廊下あたりですれ違ったことがあったかも知れない. 閑(しづか)さや 岩にしみ入る 蝉の声 松尾芭蕉 2009年9月7日、何時の日にかと望んでいた出羽国(山形県)の立石寺を訪ねることが出来た.その頃は殆ど蝉の声を聞くことはなかった.後日蝉の種類で大論争が起きていた事を知り大変驚いた.芭蕉は1689年5月27日(今の暦では7月13日)立石寺で上の句を詠んだ.後日歌人の斎藤茂吉が句にある蝉はアブラ蝉と主張した.これに対して文芸評論家の小宮豊隆はニイニイ蝉だと反論、岩に染み入る声としてはアブラ蝉は似合はないとした.茂吉は実地調査を行った結果、アブラ蝉が鳴くのは(今の暦の)7月13日以後と分かり持論を撤回してニイニイ蝉となり論争に終止符が打たれた. 今日もアブラ蝉が鳴いている.目前のゴルフ場の林から聞こえて来る.でも昨年に比べると大分静かだ.余りの暑さに蝉も元気が無くなったかのようだ.昨夕蜩(ひぐらし)が鳴いていた.カナカナと鳴くのでカナカナ蝉と呼んでいる.蜩が鳴き、つくつく法師が鳴くと、いよいよ夏休みが終わり秋の到来かと子供心に思ったものだ. 猛暑が続くので高齢者としては無理をしないのが大切とばかり、殆ど外出をせずエアコンを効かせて読書三昧の日々を過ごしている.少しは運動も必用と思うが熱中症になるのも怖い.読書と言っても最近の作者の本は読まず、専ら積ん読の山を崩している.高校生の頃から数多くの本を読んで来たが、夏目漱石や森鴎外の作品が一番気に入っている. 漱石の「坊ちゃん」の最後に出て来る”だから清の墓は小日向の養源寺にある”という表現が好きだ.この”だから”は日本文学史上で最も美しい接続詞として知られているそうだ.ところで誰しも清の墓は文学上の墓であるから実在しないと思うだろうが調べてみると実在するのである.養源寺は東京都文京区千駄木にありそこに清の墓がある. 漱石は一高(第一高等学校)同級生の米山保三郎のアドバイスで文学を志した.そして保三郎の祖母が清であり漱石は保三郎の祖母を「坊ちゃん」に登場させたのだそうだ.米山家の墓は養源寺にある.だから清の墓も養源寺にあるのだ. 余談だが漱石の作品の「坊ちゃん」では、ある日、”坊ちゃん”と”教頭”と教頭の太鼓持ちの”野だ”の3人で釣りに行く描写がある.島が見えると”野だ”が”教頭”に「これからあの島(青島)をタ-ナ-島と名づけようじゃありませんか」と余計な発議をしたとある.タ-ナ-の1830年代の作品「金枝」が青島に似ているらしい.因みにタ-ナ-とは英国ロマン主義画家のジョセフ マロ-ド ウイリアム タ-ナ-(Joseph Mallord William Turner)のことで青島とは、愛媛県松山市の小島”四十島”とされている. 2005年夏英国のロンドンに台所付きのアパ-トメントを借りて2週間滞在した.「坊ちゃん」を思い出し近くにあると思われるタ-ナ-のアトリエ兼住まいを訪ねた. 英国最高の風景画家タ-ナ-のアトリエ兼住まいの場所はテムズ河沿いに走る Cheyne Wlk 118番地と分っていたので散歩がてら探しに行った. 簡単に分ると思っていたが118番地が見当たらず大変苦労した. 近所の店や住人に尋ねても分らずやっと探しだした. 彼らは英国人なのにあの有名な画家を知らないとは!と思った. 色あせたプレートに気づかなければ、そのまま通り過ぎてしまいそうだ. プレートは古く不鮮明だが良く見ると、JOSEPH MALLORD WILLIAM TURNER. LANDSCAPEPAINTER(風景画家) B 1775 (出生)、D 1851(死亡)と書いてある.
森鴎外の作品は数多くあるがその中の一つに「青年」がある.漱石の「三四郎」の影響を受けた作品と言われている「青年」にはお雪さんという女性が登場している.どんな女性かと思いを巡らせていると急にお玉さんという女性の名前が浮かんで来た.鴎外の作品のどれかに出て来る名前と思ったが作品名をさっぱり思い出せない.確か主人公が散歩の途中で出会ったと書いてあったように思った. エアコンの効いた部屋で昼寝の代わりに懸命に探したら分かった.お玉さんは鴎外作「雁(がん)」に出て来る女性で主人公が散歩中の無縁坂の途中にある家に住んでいた.因みにこの作品「雁」は、主人公が不忍池でたまたま石を投げたら雁に当たりその雁が死んで仕舞った.不運にも命を落とした雁を引き合いにお玉という女性の儚い心理を描写した作品と言われている. 漱石や鴎外を最初に読んだのは高校生の頃だった.読んだ後に猛烈に旧制高校生、第一高等学校生(今の東大)とか第三高等学校生(今の京大)とか北大予科生(今の北大)、などに憧れた.後日北大生になり北の国札幌で小さな寮「会津学寮」で4年間過ごしたが、寮の生活から少し旧制高校生になったような気がした.時間がある限り何時迄も議論を尽くした頃が懐かしい. 連日猛烈に暑い日が続いている.TVのニュースは「危険な残暑が当面続く」と言っている.ハテナと思った.自分の今までの解釈では残暑とは9月以後の暑い日々の事であった.未だ8月なのにTVが残暑と言ったのは間違いではないのか?早速調べた.「立秋(今年は8月8日)から秋分(今年は9月23日)までの間の暑さ」の事を残暑と表現するようだ.私の解釈は間違っていた. それでは、この駄文を読んで下さっている皆様へ、 残暑お見舞い申し上げます.コロナに負けず、猛暑にめげずどうぞ元気に夏を乗り切って下さい!!! |
村の朝 (Grindelwald、スイス) 2008.06.29 |