The Tables Turned!

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「The Tables Turned」

Up!  Up!  my Friend, and quit your books;
Or surely you'll grow double:
Up!  Up!  my Friend, and clear your looks;
Why all this toil and trouble?

   William Wordsworth (1770−1850)

「発想の転換をこそ」

さあ、君、立ち上がるのだ! 君の本を捨てるのだ!
さもないと君の腰はほんとに曲がってしまうぞ.
立て、立ち上がるのだ! もっと明るい顔をしたらどうだ.
なぜそんなに刻苦勉励して本を読むのだ?

        
   ウイリアム・ワ−ズワ−ス (1770−1850)
                  平井 正穂 訳


[ホームページ]へ戻る 1.時の流れ 2016.03.27
  2. 梅雨とモ−ム 2016.06.24
  3.Piz Gloria 2016.11.16
  4.早春賦 2017.03.07
  5.ALLAMANDA 2017.07.22
  6.札幌農学校第二農場 2017.12.30
  7.花より団子 2018.05.07
  8. アビイニヨンの橋の上で 2018.09.06
  9. ADVENT 2018.12.30
   
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1.時の流れ 2016.03.27

湯沢パークスキー場
湯沢パ−クスキ−場      2016.03.04

今春のスキ−は北海道の富良野にするかそれともいつものニセコにするか大分悩んだ. どう考えてもスイスの標高3,000mを超える山頂付近から滑り降りる体力はない. そして富良野やニセコも単身で滑るのは無理だろう. そう思って娘と孫を介添役にして近場の越後湯沢近辺で滑ることにした. 然しホテルとゲレンデが直結し、土曜日に空室があるホテルがなかなか見つからない. やっと見つけたらもう3月になっていた.

上越新幹線に乗り、川端康成の雪国の冒頭の「国境の長いトンネルを抜けると雪国であった.」を思い浮べながら果たしてトンネルを抜けたら雪があるのだろうかと不安だった. トンネルを抜けたらもう町には雪が無かったが遠くに見える山々には雪が残っていたので安心した. 目的地の湯沢パ−クスキ−場は滑れる状態だったが、連日の快晴で雪はザラメ状の場所があり、また凍っている場所もありうまく滑るのは結構難しかった. 転倒すると起き上がるのが難しいので慎重に滑ったが、幸い一度も転ばないで済んだ.

英国の詩人 William Wordsworth(ウイリアム ワ−ズワ−ス) の詩を読んだ.


「The Tables Turned」           「発想の転換をこそ」


The sun, above the mountain's head
A freshening lustre mellow
Through all the long green fields has spread,
His first sweet evenig yellow.

Books! 'tis a dull and endless strife:
Come, hear the woodland linnet,
How sweet his music! on my life,
There's more of wisdom in it.


And hark! ,,,,,,,,,,,,,,,,,
,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,

 
山の頂にさしかかった太陽が、
爽やかで柔和な光を広々とした
緑の野原一面に漲らせ、
夕陽特有の黄金色ですべてを染めている.

なるほど、本か!本を読むのは骨が折れるし、きりがない.
それよりも外に出てきて紅ひわ鳴き声を聞くがいい、その歌声のなんと快いことか!誓ってもいい、
本に書かれている以上の叡智がそこにある.

以下続く(略)          
和訳:  平井 正穂



そして英国の劇作家にして詩人のWilliam Shakespeare (ウイリアム シエイクスピア) の戯曲、Macbeth(マクベス)も読み返してみた.  彼の数多い戯曲では Macbeth(マクベス)、Othello(オセロ)、King Lear(リア王)、Hamlet(ハムレット)が四代悲劇として有名である. 私はHamletが好きで舞台となったデンマ−クのHelsingor(ヘルシンゴ−)にあるKronborg(クロンボ−)城には何回も訪れたことがある.



Tomorrow, and tomorrow, and tomorrow
Creeps in this petty pace from day to day
To the last syllable of recorded time.

          「Macbeth v.5」
明日、また明日、そのまた明日と、日一日.
忍ぶ足取り小刻みに、
時の末尾に進み行く.

「マクベス 5幕5場」   
   別宮貞徳 訳



ビジネスの世界から離れて(引退して)憧れの晴耕雨読の世界に没頭出来ると思った. 福島県田村市の人里離れたところに両親から相続した旧い農家、田、畑、山林がある. だが現在の住居からは遥か遠くにあり引越さなければ利用出来ない. どうしようと迷っていたら2011年3月11日の東日本大震災とそれに依る福島第一原発の事故が発生した. 私は丁度東北新幹線で郡山へ向かっている途中で地震に遭遇し、小山市に避難したことは前に書いた.  原発の真西30kmに位置してるが多分西風が吹かなかったからと思うが住民の避難は必要なかった(心配で避難した人は多くいた). それでも現在除染の調査を行っているようだ. 両親、先祖の墓所があるので例年墓参に行くが、結局晴耕という事にはならなかった. 然し雨読の方は、晴れても降っても天候に拘わらず励んで来た.

健康維持、体力保持の為Walkingを日課としている. その散歩道には春到来とばかり桜が満開(陽光とか寒という名が付く桜)となり、初めて名前と現物が一致した、うつぎ、久留米つつじ、レンギョウなどの花々が咲いている. 我が集合住宅の玄関先には大きな桜の木(染井吉野?)がある. 今日で70%咲き位だ. 大分暖かくなって来た. そうだ本ばかり読んでいないで外へ出て体をもっと動かそう、自然に浸れとWordsworthは言っている!?

時は春、卒業式の季節である. 小学生、中学生の時3回転校した. そのせいか小学校の同級生達を全く覚えていない. 中学校の同級生は少し覚えている. 高校生も然り. 大学の専門科目の同級生は流石に全員覚えている. 小学校卒業時の同級生全員、中学、高校、大学卒業時の同級生達にも卒業以来全く会っていない人達がいる. 今卒業していく若者たちがその日を最期として将来会えない同級生がいるとは思っていないだろう. 

時は来て去っていく. 時は流れる. 齢を重ねるとどうしても過去に生きるようになる. 英国の詩人、Robert Browning(ロバ−ト ブラウニング)は詩「ラビ・ベン・エズラ」で言っている.  最上のものは未だ先にある. 人生の最後、そのためにこそ最初は作られた. 最上のものを求めてこの先を生きるよう念じている.


春到来となればこの詩を自然に口ずさむ.


Pippa's Song                 ピパの唄

The year's at the spring
And day's at the morn;
Morning's at seven;
The hill-side's dew-pearled;
The lark's on the wing;
The snail's on the thorn;
God's in hs heven---
All's right with the worled

    Robert Browning


歳はめぐり、春きたり、
日はめぐり、朝きたる.
今、朝の七時、
山辺に真珠の露煌(きらめ)く.
雲雀、青空を翔(か)け、
蝸牛(かたつむり)、棘の上を這う.
神、天にいまし給い、
地にはただ平和

  
ロバ−ト ブラウニング
   和訳:  平井 正穂



湯沢パークスキー場娘と孫と
娘と孫と (湯沢パ−クスキ−場    2016.03.06  


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2.梅雨とモ−ム 2016.06.24

紫陽花
散歩道に咲くあじさい      2016.06.14

6月5日、関東地方にも梅雨入りが宣言された. 梅雨と云えば「あじさい」を常に想う. 母が好きと言っていた花である. そして老人になった今でもこの季節には亡き母を想う. 日課で歩く散歩道には色とりどりの「あじさい」が咲いている. この季節の凡そ1時間強の散歩の時間は母を想う時間だ. 父は菊が好きだった. 菊の花が咲く季節は父を想う時である. 

言問はぬ 木すら あじさゐ 諸弟(もろと)らが 
                      練りのむらとに あざむかえけり 
                                  
                             大伴家持  万葉集

あじさゐの 八重咲くごとく 弥(や)つ代にを 
                  いませ我が背子 見つつ偲はむ
                     
                 橘諸兄(たちばなの もろえ)  万葉集


古典和歌の中で、古今集〜新古今集には「あじさい」を詠んだ歌は皆無で、わずかに万葉集に上記2首があるのみだそうだ. 昔は「あじさい」は人気が無い花だったのだろうか?


紫陽花や 藪を子庭の 別座舗(べつざしき)
                                 松尾 芭蕉

紫陽花の 末一色(すえひといろ)と なりにけり
                                 小林 一茶

思いきり愛されたくて 駆けてゆく 
            6月、サンダル、あじさいの花

                          俵万智  サラダ記念日


梅雨から雨を、雨からモ−ム(
William Somerset Maugham ,19世紀〜20世紀の英国の小説家、劇作家)を思い出した.昔彼の短編小説「雨、Rain」を読んだからだ. モ−ムと言えば誰もが「月と六ペンス」を思い浮かべるだろう.  だが私は高校生の頃、彼の短編集「木の葉のそよぎ、The Trembling of a Leaf」に収められた「赤毛、Red」を英文で読んだことから、同じく収めてある「雨」を思い出すのだ. 会社勤めの頃頻繁にシンガポ−ルへ出張した. 私の好きな宿(常宿)はGoodwood Park Hotel だったが、同じ伝統的なコロニアル スタイルのホテルとしてRuffles Hotel がある. モ−ムはそのホテルが大好きで、「雨、Raikn」 もそのホテルで書いたと言われている. 休日になると, Ruffles Hotelに足を伸ばしモ−ムが残した雰囲気を探した.

「雨」を読んだ方はどう思うか知らないが、私にはこの短編のタイトルがどうして雨なのか分からない.


ふと窓の外をみると雨が降っている. 久しぶりに「小糠雨」という言葉が口から出る. でも今は梅雨の様子も随分変わって来ている. 大雨、土砂崩れ、洪水などなどに見舞われ、恐ろしいばかりでとても雨降る情緒を味わうことは出来ない.

梅雨の季節になると5年前の6月に亡くなった級友(大学の同期)を想う. 彼と私は同じ研究室で卒業論文を書いた. 因みに彼の卒論は”セラミックおよびチタンカーバイト工具の寿命”、私のは”刃物形状の変更による切削工具性能の改善”である. 夫々実験結果のデ−タが無いと論文を構成出来ないので4年生の冬頃は、卒論の提出期限を考慮して、連日遅くまで実験していたのを思い出す. 当時工学部の暖房は夜8時には切れた. 寒い札幌の冬、暖房の切れた研究室で黙々と実験していた頃が懐かしい. 同級生30名のうちで、彼はもういない. 近くに住む3人は元気、メ-ルでやり取りしている13人も元気なようだ. 他の、私以外の、9名は今何をしているのだろうか? 卒業して早54年が過ぎた. 以来一度も会ったことがない同級生が3名いる、数十年会ってない同級生も3人いる. 皆夫々の人生を歩んでいるのだろう.

雨は小止みになって来た. 然し気分は未だ曇り空より暗く口に出るのは雨の歌である.


「城ケ島の雨」            
北原 白秋

雨はふるふる 城ケ島の磯に   利休鼠の雨がふる
雨は真珠か 夜明けの霧か    それとも私の忍び泣き

舟はゆくゆく通り矢のはなを    濡れて帆あげたぬしの舟
ええ 舟は櫓でやる  櫓は歌でやる 唄は船頭さんの心意気

雨はふるふる 日はうす曇る    舟はゆくゆく  帆がかすむ 


再び窓の外を見る. 雨は殆ど止む気配だ. 気分転換に「雨に唄えば、
Singing In The Rainでも歌おうか!


「Singing In The Rain, 雨に唄えば」   作詞 Arthur Freed,   
                         作曲 
Nacio Herb Brown
            

I'm singing in the rain    Just singing in the rain
What a glorious feelin'    I am happy again
I'm laughing at clouds   So dark up above
The sun's in my heart    And I'm ready for above  


1952年作アメリカ映画「Singin' in the Rain」で雨の中この歌を唄い、踊り、喜びを表すジ−ン ケリ−(Gene Kelly)を見た人は多いと思うが、歌はこの映画の為に作られたのではなく、1929年公開のコメデイ映画 [The Hollywood Revue of 1929] で歌われていたのだ.


 

Hemerocallis
散歩道に咲く ヘメロカリス(花は1日で萎む) 2016.05.29


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3.Piz Gloria 2016.11.16

Piz Gloria
レストラン Piz Gloria (スイス、 絵ハガキ より    2016.08



毎日暑さを運んで来るような蝉の声が途絶え、虫の鳴き音も聞こえなくなったと思えば、何時の間にやら11月となり季節は早や初冬となった. いつもの散歩道に咲く花々ももはや枯れてしまい、わずかにパンジ−が色とりどりに咲き、傍らに葉牡丹が寄り添っている. 道端の10月櫻が侘しく咲いている.

日々老いゆく身を思うと、それでなくても物哀しい秋〜冬の移り変わりが一層寂しく感じられる. 鎌倉時代末期(14世紀前半)に兼好法師が「徒然草」を書いた. その19段に次のような文がある. 

冬枯(ふゆがれ)のけしきこそ、秋にはをさをさ劣るまじけれ。汀(みぎわ)の草に紅葉の散り止まりて、霜いと白うおける朝、遣水(やりみず)より烟(けぶり)の立つこそをかしけれ。 年の暮れ果てて、人ごとに急ぎあへるころぞ、またなくあはれなる。すさまじきものにして見る人もなき月の寒けく澄める、廿日(はつか)余りの空こそ、心ぼそきものなれ.、、、、、

散歩道をそぞろ歩きなどすると、庭先の落葉掻きをする人をちらほら見かける. 道端には柿やかんきつ類が枝もたわわに実っている. されど今時一寸失敬と一枝もぎ取る者は見当たらない. 


柿くへば  鐘が鳴るなり  法隆寺      正岡子規

菊の香や 奈良には古き  仏たち      松尾芭蕉



心なき  身にもあはれは  知られけり  
                     鴫立つ沢の  秋の夕暮  

                  西行法師  新古今和歌集


見渡せば  花も紅葉も  なかりけり  
                     浦の苫屋の  秋の夕暮

                  藤原定家  新古今和歌集


年の初めにどうしても実行しようと思ったことがあった. それは2002年3月にスイスのGrindelwaldに行った時鎌倉在住のスキ−が上手なご夫妻と一緒にガイドを頼んで上がった回転レストランPiz Gloria(ピッツグロリア、2970m)へもう一度行くことであった. この展望台にある360度回転レストラン(上の絵ハガキの写真参照)はイアン・フレミング原作の007シリ−ズ映画の第6作(女王陛下の007,
On Her Majesty's Secret Service)に登場する. その時はガイドに案内されて訳も分からずレストランまで上がり、そこからスキ−で絵葉書の左斜面を滑り下りると言うより転がり下りた. 当時は雪が降っていて周りの景色は全く分からなかった. 映画を見て凄い傾斜面を滑ったものだと驚いた.

十数年過ぎて急に我が目でその急斜面を確かめたいと思うようになった. 後年Grindelwaldを訪れる度に、地元の人達にPiz Gloriaから滑ったと言うと皆驚いたので、どうしても傾斜面を確かめたかった.

3月にほぼ日程や訪問地を決め4月から飛行機、列車、ホテルの予約にとりかかった. 私一人で行く積りだったが息子夫婦が心配して同行して呉れた. 2002年はガイドに連れられて行ったので道筋を全く覚えなかった. 今回は全て自力で行こうと案内書を頼りにレストランPiz Gloriaへ向かった.

Grindelwaldに滞在していたので、そこから列車でZweilutchinen(uはウムラウト、上に・・が付く)で乗換へLauterbrunnenへ行き、そこからバスでStechelbergのゴンドラ乗り場へ向かう. ゴンドラを途中で乗換へてPiz Gloriaへ辿り着いた. 所用時間は記録してなかったが多分2時間はかからなかったと思う.

その日(2016年8月14日)は快晴、展望台から周りが良く見えた. 当然自分が転げ下りた傾斜面も良く見えた. 2002年に滑り下りた時、若し天候が晴で周りを見渡せたら恐ろしくて絶対に滑らなかったと思った. 周りが良く見えなかったとはいえ、それでも夢中で滑り下りた自分の勇気を誇らしく思った. 帰路は道順を変えてMurren(uは上に・・)経由にした. 車の通らない小さな、静かな村をのんびり歩き夏を堪能した.

今回は冬ではないのでスキ−は出来ないが、代わりに少し山道を歩いて見ようと考えストックを2本持参した. Jungfraujochの帰路とZermattのGornergratの帰路ハイキングを楽しんだが、寄る年波には勝てず、下り坂ばかりの山道で4本脚(つまり両足とストックを両手に持ち)でやっとの思いで歩き抜いた.

友人の、スイスのチュ−リッヒ郊外に住んでいる、若いドイツ人一家が幼子を連れてわざわざGrindelwaldに会いに来て呉れた. 同じホテルに泊まっていたが、お子さん達が小さいのでJungfraujochやPiz Gloriaへ一緒に行けなかったのは残念だったが約3ヶ月ぶりに会えて嬉しかった. 

スイスへ7回目の旅だった.

 

アレッチ氷河(Aletsch Glacier)  2016.08.13


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4.早春賦 2017.03.07

Eigergretscherからの下り道
Eigergletscher 2320m からの下り道  (スイス    2016.08.13

穏やかに明けた新年も寒い日、暖かい日を繰り返しながら節分を迎えそして早やひな祭りも過ぎた. 先人の諺にTime and tide wait for no man(歳月人を待たず)やTime flies like an arrow(光陰矢の如し)があるが、正に月日の流れの早さには驚嘆するばかりだ. 

この季節になると遥か昔、中学生・高校生時代の2月を思い出す. 現在とは大違いで我が家には、TV、携帯電話、スマホ、パソコンなどが存在しなかった時代の頃、手元にあるのは雑誌「蛍雪時代」、赤尾の豆単(小さな英和の単語集)などで、日々受験勉強に明け暮れしていた. 家から中学校や高校列車通学の駅へ行く道筋に神社があった. 前を通り過ぎながら受験合格を祈った. 未だ雪が残っていた道を歩き乍ら神様の前で何故か「早春賦」を口ずさんでいた. 我が青春時代の思い出としてその頃を60年後の今でも懐かしく思い出す. 


  唱歌  「早春賦」
 作詞: 吉丸一昌  作曲: 中田 章

春は名のみの風の寒さや
谷の鶯歌は思えど
時にあらずと声も立てず
時にあらずと声も立てず

氷融け去り葦はつのぐむ
さては時ぞと思うあやにく
今日も昨日も雪の空
今日も昨日も雪の空



因みにこの詩は長野県大町市、安曇野あたりの早春の情景をうたった歌だそうで最近まで知らなかった.

自分で勝手に「思索の道」と呼んでいるいつもの散歩道を日課として4km弱歩いている. 道の両側に幾種もの桜がある.早咲きの10月桜は昨年から咲いているが、今は河津桜、修善寺寒桜、大漁桜、寒緋櫻、椿寒桜、大寒桜などが満開である. 然し暖かい日もあるが寒い日もあり本当の春は未だ先と思いながら「早春賦」を口ずさむのだ.若かりし昔を想うと何かほろ苦い思いに捕らわれる.

今年のスキ−シ−ズンも間もなく終わるが多分滑らないと思う. 昨夏のスイスの山々でのハイキングでつくづく体力の低下を実感した. 日課の平地の4km弱のWalkingと山道を歩くのとは大違いであることを痛感した. 体力のない今は、一度転ぶと簡単には起き上がれない. だから絶対に転ばないように滑った. 然し転んだ場合に備えて後ろを滑って起き上がるのを助けて呉れる誰かがいないと家人が心配する. そのような助っ人は簡単には見つからない. 半世紀以上続けたスキ−も終止符を打つ時が来たようだ. 三浦雄一郎大先輩のようにはなれないのが残念である. 

大学のスキ−部山班で山岳スキ−の魅力に取り付かれ、国内では谷川天神平、蔵王、ニセコアンヌプリ、富良野などで専ら滑り、海外ではカナダ、スイス、フランス、イタリ−で長距離ダウンヒルを楽しんだ. 会社勤めの頃、土曜日が未だ休日でなかった頃は、12月の初滑りから3月末まで毎週土曜日の夜行でスキ−場へ出かけ日曜日の夜帰宅する年もあった. 始めがあれば終わりがあるのは摂理である. ついにその時が来たことを受け入れるしかないが、心中未だ次の機会を狙っている自分がいるのも事実だ. 

昔のことになるが、中学生の頃自宅に溢れるばかりの書籍があったのでそれらを乱読した. そのせいかどうかは分からないが古文や漢文が好きになった. 万葉集、古今集、新古今集などを貪り読んだ. 柿本人麻呂、山部赤人、山上憶良、大伴家持、紀貫之、在原業平、藤原敏行、西行法師、藤原定家、鴨 長明、等が好きな歌人である. 漢詩も好きで孟浩然、陶淵明、白居易、杜甫、王維、達の作品も好きだ. このHomepageに頻繁に漢詩や和歌が登場する由縁である.  

古歌が好きだ. 歌にある言葉から、さらに行間に秘められた思いから、その時の情景を想像するのが楽しい.今は新聞に掲載される歌壇、俳壇を欠かさず読んでいるが俳句は正直なところ理解するのが難しい. つまり、私が思うに、五七五七七に較べ五七五の句は言葉数が少なく表現されることが凝縮されているので理解するのに、短歌に比して、時間がかかるのだ. 芭蕉、一茶などの俳句は実際には推敲を重ねた作品だろうと推察するが、表現したい森羅万象に係る全ての事柄を一気に句にした感じがするので理解しやすい. 一方現代俳句は複雑な現象を凝縮して短い言葉で表しているように思え中々理解出来ない句が多い.

とまれ、私には短歌や俳句を作る才能は無く、批評する能力もない. ただ読んで脳裏に浮かび、焼きつく感動が楽しいのだ. 先日友人から、ご夫人著作の句集
「寸前の水」を頂いた. 203頁の大作である. 前述のように句を批評する能力はないが自分の感性に合い好きになる句を選ぶことは出来る. 俳句愛好家の方々とは受け取り方が違うかも知れないが、「寸前の水」にある数ある作品から自分の好みに合う句を紹介させて頂く. 著者のご了解を得ていないがクレジット表記でお許し願います.


         @ 金木犀 すこし遅れて 人の声

         A 川と海 出合う明るさ 冬の凪

         B 幾千の 俑の西安 夏かげろう

         C 髪洗ふ 水やはらかき ふるさとよ

         D だんだんと 闇ぬれてゆく 桜かな

         E あじさゐや 地球に青き 水流れ

         F かなかなや きのふのすでに なつかしき

         G 逃げ水の 先行く豹の ごとき影

         H 水とぢるやうに 金魚の 秋のひれ

         I 行く春を 仲見世あたりに 見失う


         @〜I 著者: 津川 琉衣  
                   句集:「寸前の水」 
                   発行所:本阿弥書店


再びスキ−のことになるが、もう滑ることは無いだろうと思うと半世紀に渡って体験した諸々のことが脳裏をよぎる. 大学入学時スキ−部山班(山岳スキ−部)に入り、いきなり5月合宿で札幌近郊の無意根山に登った. スキ−をしたことがなかったので止まることが出来なかった.それなのに頂上からスキ−部管理の山小屋まで蝦夷松、トド松などの大木の間を縫って滑った. いつこれらの木々に衝突して怪我をするか、運が悪ければ死ぬのではないかと恐怖心にかられて大変な思いをした. ニセコアンヌプリの春合宿では雨で凍った斜面を歩いて頂上に登りスキ−を履いて麓まで滑ったが急傾斜を斜滑降で滑っていた時、凍った斜面でエッジが効かずかなりの距離を滑落したこと. 後年スイスのマッタ−ホルンを見ながら滑走中、ジャンプタ−ンに失敗して転倒し肋骨にヒビが入った事などなどを懐かしく思い出す. 

大学でスキ−を始めた頃は、単板でエッジが無いスキ−と合板のスキ−があった.次第に合板に切り替わり特にヒッコリ−製の合板スキ−が価格が高かったが.硬く、強度に強く、衝撃吸収力が大きいので人気があった.その後アルミ合金の板で木の板を挟んだメタルスキ−やグラスファイバ−製のスキ−が出現し現在の芯に木を用いグラスファイバ−、ケブラ−、メタルなどの素材を組み合わせて作られているカ−ビングスキ−の時代になって来た.長さも山スキ−をやっていた頃は、手を上に上げた指先がスキ−の先端と言われていた.私のスキ−の長さは208cmだった. 締め具もカンダハ−からラングリ−メン(紐で靴をスキ−に固定する)に変わった.

記憶を辿ればメ−カ−は国産では小賀坂とかハガとかがあった.外国製としては、Kneissl(クナイスル、オ−ストリア)、KASTLE(ケスレ−,Aはウムラウト、オ−ストリア)、HEAD(ヘッド、アメリカ)、Rossignol(ロッシニヨ−ル,フランス)などを思いだす.私はKASTLEが大好きで駐在先のスウエ−デンに12月に赴任したが最初にNKというデパ−トでKASTLEを買った.もう使用しないが今でも大切に保存している.


本日スイスに住むスキ−仲間の若いドイツ人一家の奥様から絵葉書が届いた. スイスでは2月末に2週間のスキ−休暇があり家族4人揃ってDAVOSにスキ−に出かけたそうだ. また一緒に滑ろうと書いてある. 嬉しくなって「もう終わり」の前言を撤回しようかと思ってしまう.  ではこのへんで Schi Heil!(シ−ハイル、 スキ−万歳).


上の写真と下の写真の右側の人物は昨年夏のスイス旅行時の私です.
 

Kleine Scheideggを目指して
Kleine Scheidegg  2061m を目指して  2016.08.13


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5.ALLAMANDA(アラマンダ)
2017.07.22

くりま島長間浜
来間(クリマ)島長間浜 (宮古島西方)    2017.06.28



昔風に言えば6月は梅雨の季節、しとしとと降る小糠雨、から傘を差し高下駄を履いて歩く季節であった. 年月が過ぎ今は梅雨でも毎日雨が降るとは限らない. 然し自然の営みは余り変わらない. あじさいの花が咲くと梅雨の到来を思わせる. 今年も我が散歩道の両側には多くのあじさいが咲き乱れていた. 7月になっても未だ花が残っている.

前にも書いたが、紫陽花は梅雨の季節には欠かせない風物詩なのに、万葉集・古今集・新古今集では不人気だったようである.

2017年6月15日の朝日新聞朝刊の「天声人語」に以下のような文章がある.  [ 前略、、、、初夏を彩るアジサイも、江戸時代より前の文学には、ごくまれにしか登場しないそうだ. ▼ものいわぬ木にも、アジサイのように色の変わる信用出来ないやつがある−−−。 万葉集には、そんな内容の歌すらある。 [化花(ばけばな)]   [幽霊花] の名も残ると、湯浅浩史著「植物ごよみ」にある。 誰もが心からめでる花ではなかったのかもしれない。 ▼あでやかな花が雨にぬれ、露が光る姿に魅せられる現代の私たちである。 、、、後略].

私は、あじさいの花の色で信用出来ないとは、なんと風情のない表現だと思う. 何と言ってもあじさいは梅雨の花であり、眺めるだけで心が落ち着く花である.

夏もなほ 心はつきぬあぢさゐの
         よひらの露に 月も澄みけり 
                      藤原 俊成   長秋詠草

さて今はもう7月、日本列島が猛暑と大雨に見舞われ七夕の催しなど吹き飛んでしまった. 関東地方も梅雨も明けぬのに連日猛暑に晒され私の散歩道に咲き残ったあじさいの花や七夕の飾も日光に褪せてしまったようだ. 老人二人の我が家だが七夕が近づくと、今は高三と中二の孫娘達が小さい頃書いた短冊を部屋の中に飾る. 幼い字で書いた願い事を読むと、一時孫達が走り廻っていた頃を思い出し感傷的になるのだ. 不思議なことに朝方目前のゴルフ場からウグイスの鳴声が聞える.ウグイスも猛暑で季節感を失ったのだろうか?

朝戸あけて ながめやすらむ 織姫(たなばた)は
         あかぬ別れの 空を恋いつつ
                      紀貫之     後撰和歌集

狩り暮らし たなばたつめに 宿からむ
         天の河原に 我は来にけり
                      在原業平    古今和歌集

うれしさや 七夕竹の 中を行く
                      正岡子規


7月、8月はお盆の季節である. 昨年秋から親戚、友人達の計7人が亡くなり新盆を迎える(た). 6月初め、高校の同級生計6人で北陸方面、和倉温泉、金沢、あわら温泉、を訪れていた時、最初の会社の同期入社の友人の訃報を聞いた. 私は秋には80歳となる. 同年代の友人の訃報を聞くと、つくづく我が身の先を思い、そして我が人生の長きを感謝し且つ過ぎ去りし昔の事々を振り返り想い出に浸ってしまうのだ. 


6月後半梅雨明けの南の国、宮古島に家人と出かけた. 沖縄と台湾の中間にある人口6万強の島である. 羽田から直行便で約3時間の空の旅で着く.  久しぶりに浜辺で日光浴をしたいとハワイ行なども考えたが、パスポ−トを必要としない国内の小島を選んだ. 人の気配の無い(少ない)真白な海岸、エメラルド色の海、紺碧の空など素晴らしいとしか言いようがない所だ. 幾つもの綺麗な浜辺を訪れるには砂糖キビ畑の間を縫う小道を行かねばならず、専らレンタカ−のカ−ナビに頼らざるを得なかった. 

離れ小島の人気のない真白な浜辺に寝そべっていると周りを小鳥が飛んでいるのに気が付いた. 突然次の歌が浮かんだ.

名にし負(お)はば いざ言間(ことと)はむ都鳥 
           わが思ふ人は ありやなしやと
                      在原業平     古今和歌集



私は、この歌は、[ 離れ小島に「島流しの刑」を受けた囚人が、都鳥という名の鳥を見て、都という名を持つなら遥か遠くの都にいる妻の消息も知っているだろうから教えて呉れ ]という意味と思っていた.

念の為自宅に戻って調べたら、場所は離れ小島ではなく、武蔵の国と下総国(しもうさのくに)との中間にある隅田川の畔であった. 限りなく遠くに来たと何となく侘しい思いに胸をしめつけられて、京都に残して来た人のことがしみじみと偲ばれて詠んだ歌であるそうだ. 私の解釈、つまり詠んだ場所と人物は離れ小島の囚人、は誤りであることが分かった.. 

因みに「武蔵国」は現在の東京都、埼玉県の一部、千葉県北東部の一部である. 「下総国」は現在の千葉県北部と茨城県の一部である.

上の歌の現代語訳は、
「万葉古今新古今の研究」  大塚巖徳、高木東一 著 光風館 昭和29年4月10日発行 に拠る.

その名に都という語を持っているならば、いざ物を問おう、都鳥よ。 わが思う人は世にあるのか、それとも亡くなってしまったのかと。 

この歌を知ったのは高校生の頃(凡そ1955年頃)だ. 爾来60有余年、時折思い出している. 最近は大分耄碌し記憶力の限界を感じているのに、よくぞ覚えていると我ながら感心している.

これまでに沖縄、グアム、サイパン、ハワイなどの島々に行ったが、真白な浜辺に寝そべりながらほぼ半世紀前に家人と二人で訪れた島、ギリシャ共和国の南方の地中海に浮かぶクレタ島(英名:CRETE)を思い出した. 
浜辺は人で溢れていたが、炎天下ヨ−ロッパ最初の文明の一つ、ミノア文明が栄えた島でクノッソス宮殿跡などの古代文明の遺跡を見学した. 同じ南の島でも、大きさや人口も、歴史も大きく異なる島ゆえ記憶に残っているのだろうか!?

下の写真は、宮古島に咲く花「ALLAMANDA,アラマンダ」である. 島の至る所に咲いている、いかにも南国を思わせる綺麗な花である. 初めはハイビスカスかと思っていたが花芯が目立たない、花びらの形がまろやかで鋭さがないので違うと思い地元の方に訪ねた. 「ALLAMANDA,アラマンダ」と教わった. 原産は熱帯アメリカで南国に居ることを感じさせる花である.

 

アラマンダ
 ALLAMANDA(アラマンダ 宮古島にて  2017.06.28


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6.札幌農学校第二農場 2017.12.30

札幌農学校第二農場
札幌農学校第二農場    2017.10.15



年の瀬も明日限りとなった.「光陰矢の如し」と言われるが、正に月日の過ぎるのが早いとつくづく感じている. 尤もそれは自分の自堕落な生活に起因しているのだろうか? 宵っ張りの朝寝坊だからか? 夜は12時半頃就寝し、朝は7時半過ぎに起床する. 朝食を摂り朝刊を読み終えると早や11時を過ぎる. 日課の4kmのWalkingを終え昼食が終わるともう15時頃になる. もう少し早く寝て、もう少し早く起きないと何時までも「光陰矢の如し」の日々が続くだろう.
新年を迎えて先ず改めるべきは自分の生活態度だろうと思う. 

年の瀬に際し今年を振り返ると二つの大きな出来事があった.

@ 5月に結婚50周年を迎えた. 自分では平凡な結婚生活が続いたと思うが、長男・長女に恵まれ彼らが独立して生活を営み、二人の孫娘に恵まれ、家族全員が健康な生活を過している事は大変幸せな事である.

A 9月に80歳になった(傘寿). 現在でも老齢とは思はないが、次第に体力が衰え、長年親しんで来たスキ−も諦めざるを得なくなったのは大変残念な事である. 会合に出席すると最年長者なる我を見出し愕然となってしまう. 子供の頃は「人生わずか50年」と言われていた. 日本人の平均寿命が80歳を超える現在、もはや80歳など珍しくない時世だが、我が身が80歳を元気で迎えられたことは、想定外のことであり感無量である.

師走の(いつもの)散歩道を歩くと路傍に夏ミカンや金柑が枝もたわわに生っている. 10月桜、冬桜、ア−コレ−ドなどの花が満開だが葉が落ちて木には1枚も残っておらず、折角の満開の桜が寂しく見える. 寒気到来で大雪が続いている日本海沿岸部や東北、北海道を思えば何とのどかな風景かと申訳なく思ってしまう.

少し季節を遡った10月頃にこの散歩道を歩くと菊の愛好家が軒先に置いた懸崖菊(菊を盆栽仕立てにして、幹や茎が根よりも低く崖のように垂れ下がらせて作ったもの)に出会うことがあった. 私の亡父は菊作りの愛好家だったので見事な懸崖菊を眺めるにつけ父を思い出す. 私が大学受験勉強をしていた頃、父は菊作りの本を書くと言い私同様深夜まで原稿書きに励んでいた. 原稿が未完のまま他界したので出版出来なかったのが悔やまれる.

机を整理していたら、父の記事がある福島民友新聞の切り抜きを見つけた. その記事を下に紹介させて頂く.


          福島民友新聞  (昭和30年、1955年,11月17日)

記事は読めないと思うので要約すると、

「”菊博士”といわれて知られる県立磐城女子高校生物科教諭菅田章慶氏(52)=平市県立園芸原種農場嘱託=は教員生活に入った30年前から好きな菊の花の品種改良に没頭、いそがしい授業の余暇をみて全国をめぐり歩き、熱心に集めた各品種の交配と栽培を続けてきたが、この秋ついに三十種類に及ぶ新品種の改良に成功、農林省に近く特許登録を申請するがこんなに大量に新品種をつくりだした例は少なく関係者は見事に実をむすんだ氏の努力と根気に驚いている」


さて、北大生の頃は4年間定員21名の小さな寮、会津寮、に入寮し世話になった. 卒寮生の親睦会として会津寮OB会なる会が出来、札幌と関東で交代しながら開かれるようになった. 今年は10月に札幌で開かれたので参加した. 毎回楽しみにしているのがOB達の在寮時代の想い出話を聞くことである. 僅か21名が住む小さな寮だが、卒寮生には元北大農学部長、元朝日新聞論説委員、元東芝専務、名誉教授、医学博士、工学博士、作家等々多士済々なのが自慢である.

卒業してからも大学に行く機会は数え切れないほどあったが、北大生時代も含めて一度も構内にある「札幌農学校第二農場」を訪ねたことがなかった. 今回会津寮OB会に参加する機会を捉えて、是非にと、第二農場を見学した.

第二農場にはBoys,Be ambitiousで有名なクラ−ク博士の「大農経営構想」に基づき、明治時代(1876年、明治9年)に建てられた木造の畜舎などの建築物群がある.施設は「模範的畜舎」を意味する「Model Barn,モデルバ−ン」と云う名称でも知られている. 1969年に国の重要文化財に指定され、官報に告示された指定名称は「北海道大学農学部第二農場」となっているが、北海道大学では由来を明確にする目的等から「札幌農学校第二農場」の名称を用いている. 広い敷地に建てられた家畜房などを見学していると、寮歌「都ぞ弥生」の一節、羊群声なく牧舎に帰りが浮かんで来た.

間もなく2018年になります. このホ−ムペ−ジは5月には、始めてから17年目を迎えます. 生きている証しになれと更新を続けて来ましたがこれからも更新して行きたいと願っています. 拙い文章を長きに渡って読んで頂き感謝申し上げます.

新年がどうぞ良い年でありますよう心からお祈り申上げます.
 

新渡戸稲造書BBA
 新渡戸稲造書 少年よ大志を抱け、札幌農学校第二農場にて  2017.10.15


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7.花より団子 2018.05.07

桜祭りの屋台
桜散っても屋台は残る   2018.04.01

世の中は三日見ぬ間桜かな」とは世の中の移り変わりの早いことの例えだが、確かに例えに出すほど桜は咲いたと思ったらあっという間に散ってしまう.  今年の桜の開花状況は全く例年になく早かった. 当地(神奈川県座間市)では4月を待たず咲き揃っていた. 最近は、特に今年は、晩春とか行く春とかいう風情はなくなり4月はもう初夏の 陽気になっている.
江戸中期の俳人、大島蓼太(おおしま りょうた)の昨品に、世の中は三日見ぬ間桜かなという句があるが上の例えはこの大島蓼太の句から来ている.  だが「見ぬ間」と「見ぬ間
」は意味が違い前者の主役は世間で,後者は桜だそうだ.私が言いたいのは後者の方である.    

毎日のように歩く私の散歩道にはかって桜の大木が50本以上連なっていた. しかし樹齢50年を超えて老木となり台風で倒れる危険があると全て切り倒されてしまった. そして新たに櫻の苗木が植えられた. 成長が早くもう花見が出来るまで大きくなった. 散歩しながら桜の木としか認識していなかったが、ある日何種類の桜が育っているか木に取り付けられた名札を頼りに数えてみたら、距離にして約1700m(片道)位の、巾5m位のアスファルト敷きの、人と犬と猫と稀に自転車のみが疎らに通る、散歩道の両側に何と46種類もの桜の木があるので驚いた. 

下記の46種類の散歩道の桜の名前を何種類位知っていますか?
   
1 10月桜 11 大島桜 21 枝垂山桜 31 椿寒桜 41 御座の間匂
2 ア−コレ−ド 12 思川 22 修善寺寒桜 32 手弱女 42 八重紅大島
3 天の川 13 河津桜 23 白妙 33 葉桜 43 八重紅彼岸
4 有明 14 関山 24 神代曙 34 花傘 44 楊貴妃
5 市原虎の尾 15 寒緋桜 25 須磨浦普賢象 35 福禄寿 45 陽光
6 一葉 16 苔清水 26 駿河台匂 36 普賢象 46 蘭蘭
7 糸括 17 御衣黄(ごいこう) 27 仙台屋 37 紅枝垂
8 雨情枝垂 18 超の彼岸 28 染井吉野 38 紅華(こうか)
9 鬱金(うこん) 19 小ひがん 29 大漁桜 39 紅豊
10 江戸ひがん 20 小松乙女 30 高砂 40 御車返し


時は早や、4月も過ぎ、5月のゴ−ルデンウイ−クも過ぎ、春も過ぎて、初夏を迎えた. 夜更かしをするせいか老人なのに朝眠くて困る. 春なら、「春眠暁を覚えず」と言い訳出来るが5月になればそうも言えない. 然し頭の中には未だ春の名残がある.


春暁 (五言絶句) 孟浩然

春眠不覚暁 しゅんみんあかつきをおぼえず 春の眠りは心地よく夜が明けるのも気ずかない
処処聞啼鳥 しょしょていちょうをきく あちらこちらから鳥のさえずりが聞こえる
夜来風雨声 やらいふううのこえ
昨夜は風雨の音がしていた
花落知多少 はなおつることしるたしょう どれほどの花が散っただろうか
     

随分昔のことだが、高校生の時古文とか漢文(今は何と呼ぶのか知らない)が好きで一生懸命授業を聞き、大学受験では漢文を選択した. その名残か今でも古歌(万葉集、古今集、新古今集)に出てくる句や唐詩が好きである.

5月になればそろそろ郭公の鳴き声が目前のゴルフ場から聞こえて来そうだ. 恥ずかしながら郭公はホトトギスとも呼ぶそうだが全くそのことを知らなかった. 然し古来和歌では郭公のことを「ほととぎす」と呼んだそうだ.

札幌の5月か6月か、北大生の頃、午前の授業を受けていると、開け放された窓から構内のどこかで鳴いている郭公の声がよく聞こえて来た. 授業そこのけでじっと鳴き声を聞いていると眠くなって困った.


我が衣(きぬ)を 君に着せよと 霍公鳥 (ほととぎす)
              我をうながす 袖に居つつ
                        詠み人知らず 万葉集

春すぎて 夏きたるらし 白たへの 衣ほしたり 天の香具山
                        持統天皇    万葉集

暮るるかと みればあけぬる 夏の夜を
              あかずとやなく 山郭公(やまほとぎす)
                        壬生忠岑   古今和歌集

音羽山 こだかく鳴きて 郭公(ほととぎす)
                     君が別れを 惜しむべらなり
                        紀貫之    古今和歌集

聞かずとも ここをせにせむ ほととぎす 山田の原の 杉のむらだち
                        西行法師  新古今和歌集


5月の声を聞く頃には、新入生歓迎会とか新入社員歓迎会などの行事もほぼ終わり、若者たちは新しい環境に慣れようと張り切っていると思うが、反面5月病に罹らないかと心配だ. 私が最初に入社した会社に今年後輩が2名入社したので入社歓迎会を開くことになりその案内があった. 勿論喜んで出席する積りだ. その会社には56年前精密工学科卒業生として私が入社第1号だった. 爾来毎年のように後輩が入社し今では精密工学科卒か機械工学科系卒の後輩がもう40名近く入社している. 

自分が新入社員だった頃抱いた、果てしない未来が待っているような希望と期待の心を今でも忘れることはない.



花吹雪
 宴の後の花吹雪  2018.04.01

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8.アビイニヨンの橋の上で 2018.09.06

ニセコ春スキー
滑り下りたニセコアンヌプリを振り返り見る 1960年5月


1962年に第1期生として卒業した北大工学部精密工学科が今年で創立60周年を迎えた. それを記念して9月8日に神田の学士会館で60周年記念同窓会を開くことになった. 卒業当時の教授だった先生方は既に亡くなり、助教授や助手だった先生方はもう名誉教授になられて引退生活を過ごしておられる. 同窓会には北海道から6人もの名誉教授の先生方が出席されるのでお会いするのを楽しみにしている. 卒業以来殆どお目にかかっていない先生もいらっしゃる.

思えば卒業してもう56年も過ぎた. 定員30名の精密工学科から29名(1名は病気で留年した)が卒業したが、5名が鬼籍に入り3名が消息不明となり、連絡出来る同期生は20名となり寂しい限りだ.

そう思うと半世紀以上遥か昔の学生時代をとても懐かしく思い出す. 高校生だった頃は300名以上の同学年の生徒の大半は大学進学を目指して猛勉強に明け暮れていた. 振り返れば文化祭、遠足などの行事は無かったと思う. 高校の入学式が始まる前に合格者は高校に呼び出され毎日補講と称して、その頃の大学の入学試験を解かされた. 私も毎日学校の往復時には歩き乍ら「赤尾の豆単」を暗記した.「赤尾の豆単」とは当時蛍雪時代という月刊の受験雑誌を発行していた旺文社の社長だった赤尾好夫氏が編纂したポケットに入るサイズの「英語基本単語集」のことだ. 読者の中には記憶されている方も多いと思う.

余談だが蛍雪時代の末尾に毎月練習問題が出題されており、解答を送ると成績順に氏名が発表された. 優秀な解答者には賞品(例えば万年筆とか)が贈られた. それを楽しみに毎月解答を送り賞品ゲット者の常連になった. そのせいか大学入学後に「苦手な科目の克服法」なるタイトルで寄稿を求められたこともあった. 高校では大学の受験問題として出題されるからと、Hemingway(ヘミングウエイ)、Maugham(モ−ム)、Shakespeare(シェ−クスピア)などの作品を原文で読まされた.

受験勉強に励んでいた頃、当時の文化放送が「大学受験ラジオ講座」なるものを受験生の為に深夜に放送していた. 正確には覚えていないが、英語、数学、国語などの講座に加えてフランス語の講座があった. 深夜12時45分に私が学んでいた講座が終わり復習と翌日の為の予習をしていると次のフランス語講座が始まった. タイトル音楽が「Sur le pont d'Avinion、アビイニヨンの橋の上で」だった. 復習・予習をしながら何気なく聴いていたらすっかり覚えてしまった. このフランス語講座は講師が
A demain(ア ドウマン、また明日)と言って1時45分に終了し私もこの声で就寝した.  懐かしき4当5落(4時間しか眠らず勉強した者は合格、5時間以上眠ったものは不合格という言い伝え)の時代を過ごした. この古いフランス民謡がいつまでも心に残り、今でも何気なく口ずさむのだ.


          「Sur le pont d'Avinignon

            Sur le pont d'Avignon
            L'on y danse,l'on y danse
            Sur le pont d'Avignon
            L'on y danse tout en rond



           「アビイニヨンの橋の上で」

             アビイニヨンの橋の上で 
             踊るよ 踊るよ
             アビイニヨンの橋の上で
             皆輪になって踊るよ




懐古は更に続く. 父親が高校の教員だったので私も教員になろうかと横浜国立大学教育学部(当時)を受験し合格した. 然し入学を決める前に、 我が将来の希望を再度確認した結果、エンジニアになりたいと願い、教員になる考えを改め入学せずに浪人する事を決めた. 学力向上のため東京の市ヶ谷にある予備校に通った.  その頃は、高校生でもなく、大学生でもなく、社会人でもなく、果たして希望の大学に入れるのかと不安な精神状態の日が毎日続いていた.   不安な日々を過していた秋の或る日、夕食を摂るため予備校近くのレストランに入った. 店のTVがNHKの歌番組を放映していた.  その時聴いたのが「赤トンボ」だった.


        童謡  赤とんぼ   作詞:三木 露風
                     作曲:山田 耕作

             @  夕焼け、小焼けの、 赤とんぼ、
                 負われて見たのは、いつの日か.

             A  山の畑の、桑の実を、
                 小籠に、つんだは、まぼろしか.

             B  十五で、姐やは、嫁にゆき、
                 お里のたよりも、たえはてた.

             C  夕焼け、小焼けの、赤とんぼ、
                 とまっているよ、竿の先.



この童謡は不安定な精神状況の若者(私の事)の心に深く入りこんだ. 故郷の両親を想い、我が未来を想った. 今この歌を耳にするとその頃の自分の心境を思い涙が出る.

大学受験しか頭になかった高校生、浪人時代が終わり大学に入学して初めて我が人生にも青春時代がやって来た. 会津寮という定員21名の小さな寮に世話になり、日夜議論に明け暮れ、山岳スキ−を堪能した. その頃の思い出は後日紹介したい.

話は変わるが、もう暦の上では立秋も過ぎ間もなく9月も中旬を迎える. 大雨・台風・酷暑と天変地異の7月、8月だった. 暑さを避けて、昼時を止めて、夕暮時にWalkingをしている. いつもの散歩道の両側に立つ木々にしがみつき今を最後とばかり蝉(油蝉?)が鳴き虫の声も聞こえるようになって来た. 目前のゴルフ場からはカナカナ蝉(ひぐらし)やつくつく法師の鳴声も聞こえ初秋を告げている. 子供の頃は「ひぐらし」と「つくつく法師」の鳴声を聞くと夏休みが終わると思い憂鬱になったものだ.

好きな秋の歌を二句(以前にも書いたが).

秋来ぬと 目にはさやかに見えねども 風の音にぞ驚かれぬる
藤原敏行朝臣   古今和歌集

心なき 身にもあわれは知られけり 鴫立つ沢の空の夕暮
西行法師  新古今和歌集


今朝、北海道地震のTV報道を見て大変驚いた. 札幌や北海道には大学同期生、友人、知人が何人も住んでいる.  住民の皆さんのご健在を心から願うばかりである.


石狩岳に上る
北海道石狩岳(1967m)を目指して沢登り 1959年1月

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9.ADVENT2018.12.30

Advent
      アドベント(Advent)で灯す我が家のろうそく   2018年12月


アドベント(Advent)とは、キリスト教西方教会において、イエス・キリストの降誕を待ち望む期間のことである. 日本語では教派によって異なり待降節とか降臨説と言われている. アドベントという単語は「到来」を意味するラテン語「Adventus」から来たものである……以上Wikipediaより. この言葉は我々日本人には馴染まない言葉であるが最近はアドベントカレンダ-というカレンダ-で名前が知られて来たと思う

さて難しい説明はここまでにして、我が家のアドベントは、長い習慣として、12月になるとろうそくを4本用意しクリスマスの4週間前の日曜日にまず1本目、次の日曜日に2本目と週を追う毎に火を灯したろうそくを増やしていき最終的には4本が階段状に炎を灯した状態になる. 明かりを消した部屋でろうそくの炎を見つめていると、このゆらゆらと揺らぐ炎を見るキリスト教の信者達は我々日本人が除夜の鐘の音を聞く時に抱く感情と似た感情を抱くのだろうかと想像している.

クリスマスも過ぎ明日は大晦日、その翌日は正月となり新しい年が始まる. 今年を振返ると知人、友人等身の回りで何人もの方々が亡くなった. 「生れたものには、生の次に必ず死がある」とは自然の摂理であるが寂しさをつくづく感じている. 今秋81歳になった身としては新年と聞いても、若い頃と違い心わくわくする事はない.

大好きなスキ-にも別れを告げた. 三浦敬三氏は100歳を超えてモンブランで滑られた.三浦雄一郎先輩は86歳でアコンカグアで来春登頂とスキ−滑降を予定されている.81歳の私などは二人の大先輩に比べたら未だ若造だと思う. でも彼らにはベテランのサポ−ト隊が周りにいるが私は単身で周りにサポ−ト隊はいないという違いがある. 

裏大雪山、十勝岳、札幌近郊の春香山と無意根山、ニセコアンヌプリ、イワオヌプリ、チセヌプリ、蔵王、谷川岳、富士山七合目、スイスのグリンデルワルド(Grindelwald), ツエルマット(Zermatt), サンモリッツ(St.Moritz),  フランスのバルデイゼ−ル(Val-d Isere), イタリ-のコルチナダンペッツオ(Cortina d'Ampezzo), オ-ストリアのサンアントン(St.Anton)などで滑った事を懐かしく思い出している. 

スイスには7回滑りに行った.今から50年以上昔、初めてスイスのツエルマット(Zermatt)へ行きマッタ-ホルンの麓(と言っても3000m位)で滑ったときはリフトやロ-プウエイが無く雪上車から垂らしたロ-プにつかまって上ったことがあった. 夕刻になり誰も滑っていない斜面をただ一人安全パトロ-ル隊に追い立てられながら下ったこともあった.


めでたさも ちゅう位なり おらが春
                    小林一茶

自分の心境も一茶と同じと思った. ちゅう位は中位、つまりほどほどと解釈した. 然し他の解釈もあるようだ.それはちゅうとは一茶の故郷の信濃地方の方言で、”あやふや”とか”いい加減”という意味らしい. 私は””の心境である.

門松は 冥土の旅の 一里塚 めでたくもあり めでたくもなし
                               一休宗純

とは言え新年と聞けばやはり新しい事をしてみたい、未来に希望を持ちたい、という心もある.
新年には何か新しいことをしてみたいと思い乍らいつもの散歩道を歩いていたらふと思ったことがあった. 東京オリンピックで英語のボランテイア通訳をやろうかと. でも炎天下会場までの往復に体力が持つかなど思案していたら、12月17日で応募登録機関が終了して仕舞った. 多分応募しても老齢故断られたろうと自分を慰めている.


元日は 田毎の日こそ 恋しけれ
                  松尾芭蕉

草の戸に 賀状ちらほら 目出度さよ
                     高浜虚子

日本(にっぽん)が ここに集まる 初詣
                      山口誓子


どうぞ良いお年をお迎え下さい!!!



Xmas Deoration
      我が家のクリスマスの飾り       2018年12月

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