心に残ることば、うた |
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NO (1) 2002/09/16 |
NO (2) 2002/9/21 |
NO (3) 2002/9/27 |
NO (4) 2002/10/5 |
NO (5) 2002/10/11 |
NO (6) 2002/10/19 |
NO (7) 2002/10/25 |
NO (8) 2002/11/01 |
NO (9) 2002/11/10 |
NO (10) 2002/11/15 |
NO(11) 2002/11/22 |
NO (12 ) 2002/12/01 |
NO (1) | 2002年09月16日 |
「BBA」 BBAとは ”Boys, be ambitious! 青年よ大志を抱け!” のことである.札幌農学校のクラーク博士がアメリカへ帰国する際、札幌近郊の島松で見送りの学生への別離の言葉として余りにも有名になった言葉である. 私はこの言葉が好きだ.人は何ゆえに学び、何ゆえに努めるのか? 人生長い道のりを歩む時、尽きぬ夢と希望を与えてくれるこの言葉を繰返し、繰返し思い浮かべた. この多くの人が知っているBBAを私は高校生の時知った.しかしBBAには次のような言葉が続いていたと知ったのは大学を卒業してからだった. ”Boys,be ambitious!Be ambitious not for money or for selfish aggrandizement, not for that evanescent thing which men call fame. Be ambitious for the attainment of all that a man ought to be.” 昭和39年3月16日の朝日新聞「天声人語」によれば、出典として稲富栄次郎著「明治初期教育思想の研究」(昭和19)をあげ以下の訳文を添えている. ”青年よ大志を持て.それは金銭や我欲のためにではなく、また人呼んで名声という空しいもののためであってはならない. 人間として当然そなえていなければならぬあらゆることを成しとげるために大志をもて” しかし、この言葉がクラーク博士のものであることを認めるには幾つかの無理があるらしい. それでは誰がBBAに書き足したかといえばそれも不明らしい. (BBA以後の文章については[インタ−ネット,北海道大学図書館報「楡蔭」NO29より転載]による.) BBAに続く言葉が実際にあっても無くても、BBAの精神はひた向きな人生を送ろうとしていた青年時代、老年時代の私の心にいつもあったし今もある. タイトル[心に残ることば、うた]に戻る |
NO (2) | 2002年09月21日 |
「帰去来の辞」 陶淵明
[いざや帰らん、ふるさとへ. 田畑は今にも荒れ果てそうなのに、どうして帰らないでおれようか. 自分からすすんで生活のために精神を売ったのだから、今更なんでめそめそとひとり悲しむことがあろう. 過ぎ去ったあやまちはもはや取りかえしのつかないものと観念し、未来の光明をこそ追及すべきものと知った. 今ならまだそう遠くへは横道に迷いこんでいないはず. たしかに今日の行動こそが正しくて、昨日までの自分は誤りだった. 帰りゆく舟はゆらゆらと軽やかに波に乗り、北風ははたはたと私の衣をひるがえしていある. 私は、もう胸がわくわくしてきて、同乗の旅人に、故郷まであとどれほどかと尋ねてみたり、早朝の日ざしがぼんやりとして故郷が見えにくいのをもどかしがったり]. 以上の出典: 「陶淵明」 岡村 繁 著 日本放送出版協会 高校生の時、陶淵明の「帰去来の辞」を学んだ.最初の[帰りなんいざ、田園将に蕪ア れんとす]いう詩は今もよく覚えている. 詩だけで322字の大作を読んで心が洗われる気がした. 当時は朝から夜まで受験勉強一筋の生活に精神的に疲労し、陶淵明の俗世間から離れて田園に帰る喜びの詩に巡り合い、荒れた心を癒したのだろう. 高校生時代は、光り輝く未来に我が人生の夢を描く時であった.また一方では未来という未知なる世界への懐疑と興味を模索する時であった. 哲学青年 藤村 操 が華厳の滝で投身自殺した時遺した「厳頭の辞」は強烈な印象を与えた. [悠々たるかな天壌、遼々たるかな古今、五尺の小躯を以ってこの大をはからんとす. ホレ−ショの哲学、ついに何等のオ−ソリテイに価するものぞ. 万有の真相は唯だ一言にして悉す. 曰く「不可解」我、この恨を懐いて煩悶、終に死を決するに至る] この人生は何の為にあるのだろうか? 何か分かるかと 三木 清の「哲学入門」 を読んだ. 難しくて何も分からなかった. 以来40数年、未だにして悟る事何も無し、模索の日々は停まるを知らず! 然し昔出合った 帰りなんいざ、田園将に蕪ア れんとす の詩は今も心を癒してくれる. タイトル[心に残ることば、うた]に戻る |
NO (3) | 2002年09月27日 |
「白玉の………」 若山 牧水 「 白玉の 歯にしみとほる 秋の夜の 酒はしずかに 飲むべかりけれ 」 このうた(若山牧水作)に巡りあったのは大学生の頃だ. 爾来、社会人を経て現在までそれほど日本酒を飲まないのは、日本酒(日本酒だけではないが)を飲むには、自分には特別な雰囲気が必要だからだ. 私は静かな状況で飲む酒が好きだ. 牧水のうたは将に我が意を得ている. 秋は何かもの悲しい. したたかに自然の強さを見せつけた後に、静かな季節が来るからだろうか! 青桐の葉には、もう秋の声がしのび寄る. |
「偶成」 朱熹 ( 朱子 )
この詩は高校時代以来今でも覚えている. その時気に入って丸暗記したからだ. 別に季節のうたではないが、桐の葉の変化で人生の短さ?(秋)をもの語っている. 池の塘の春草が未だ夢から覚めないうちに、階段の前の青桐の葉には、もう秋の声がしのび寄る そしてまた、 桐一葉落ちて、天下の秋を知る でもある. 秋立つ日よめる という前置きが好きな うた、 「 秋来ぬと 目にはさやかに 見えねども、 風の音にぞ おどろかれぬる 」 藤原敏行 朝臣 古今和歌集 「秋が来たとそのすがたが目にははっきりとは見えないけれど、吹く風の音がいかにも秋らしい爽やかさを含んでいるのに、ああ秋が来たのだなとふと感じられたことだ. [萬葉古今新古今の研究] 大塚巌徳、高木東一 著 光風館 」 秋が来ると思い出す うた を二首、 「 寂しさは その色としも なかりけり 槇立つ山の 秋の夕暮れ 」 寂蓮法師 新古今和歌集 「 心なき 身にもあはれは 知られけり 鴫立つ沢の 秋の夕暮れ 」 西行法師 新古今和歌集 タイトル[心に残ることば、うた]に戻る |
NO (4) | 2002年10月5日 |
「だから清キヨ の墓は小日向コビナタ の養源寺にある.」 坊ちゃん 夏目漱石 この文章はご承知のとおり漱石の「坊ちゃん」の最後の文章であるが、全体のストーリーがまことにハキハキとリズム感に溢れているので、最後の文章を読むと急な終わりを感じても息切れがしなくて心地良くなる. 「智に働けば角が立つ. 情に棹させば流される. 意地を通せば窮屈だ. 兎角に人の世は住みにくい.」 草枕 夏目漱石 これは「草枕」の冒頭の文章である. そして続いて曰く 「住みにくさがひどくなれば、移りたくもなるが、どこへ移っても住みにくいと悟った時、詩が生まれて、画が出来る. 寛げて束の間の命を、束の間でも住みよくする為に詩人や画家という天職が出来、且つ使命が下る」. 坊ちゃんと比べると随分内容が異なり困惑を感じるほどである.坊ちゃんは漱石の正義感を表わし、草枕は彼の憧れる人生観を多少なりとも反映してるのだろうか? 陶淵明の連作「飲酒」、詩20首の第5首に次のような詩がある. |
漱石に戻るが、草枕で彼曰く 「苦しんだり、怒ったり、騒いだり、泣いたりは人の世につきものだ. 余も三十年の間それを仕通して、飽々した.」 そして、 「余が欲する詩は俗念を放棄して、しばらくでも塵界を離れた心持ちになれる詩である....、うれしい事に東洋の詩歌シイカ はそこを解脱したのがある. 菊を采ト る東籬の下モト、 悠然として南山を見る. 只それぎりの裏ウチ に暑苦しい世の中を丸で忘れた光景が出てくる.」 将に陶淵明の「帰去来の辞」 の心境である. 毎日を家庭に、仕事に忙しく過ごしている時はこのような心境にはならないし、また到達出来ないだろう. では 悠然として南の山、盧山を見る 心境には何時到達するのだろう ? タイトル[心に残ることば、うた]に戻る |
NO (5) | 2002年10月11日 |
「西のかた陽関ヨウカン を出イ ずれば故人コジン 無からん」 元二ゲンニ の安西アンセイ に使ツカイするを送る 王維 好きな漢詩のなかでも特に好きな詩である. これも高校時代に覚えた詩で、故人とは亡くなった人のことではなく友人のことだと分かって不思議に思ったのを未だ覚えている. [送元二使安西] 王維 |
「君に勧む 更に尽くせ 一杯の酒」 とあるように、酒を飲むうたには違いない. 陽関の先にはもう共に飲む友人はいないのだから、さあもう一杯ぐっと飲んでくれという悲しい酒である. 単に酒を飲む表現では無く、別離の悲しい酒を酌み交わす互いの辛さがよく分かる. たんたんとした表現から醸し出される周りの状況を想像するとき、自分には「別離のうた」として心に刻まれる. 「名にし負オ はば いざ言コト 問ト はむ 都鳥 わが思ふ人は ありやなしやと」 在平業平朝臣 古今和歌集 このうたは別離のうたではなく、旅愁のうたである. 遥か都(京都)を離れて京のことがしみじみと偲ばれる. 川のほとりであそんでいる鳥が都鳥と呼ばれるならば、その名前のように都のことを知っているだろう! 私の想う人は世にあるのか、亡くなったのか教えて欲しい. 「名にし負はば いざ言問はん 都鳥」 という前の句が好きだ. 現実的な話になるが、学生の時猛烈なホ−ムシックにかかった. 夜机に向かっていると、遠くで汽車が通る. 窓ガラスがカタカタと鳴る. 汽車の気配がある度に家が恋しくなった. 夜汽車が通るのを見る. 車内はこうこうと明るく大勢の人が乗っている. 喜び、楽しみ、悲しみ. 皆どんな思いで旅をしているのだろう? とか思いつつ家に帰りたいと思った. 家の朝顔が頑張っている. 今まで熱心に見ることなど無かったが、10月も半ば近くになっても咲いている. こうなるといつまで咲き続けるか毎朝観察している. 今の季節には合わない? うた、 「朝顔に 釣瓶ツルベ とられて もらひ水」 加賀の千代 タイトル[心に残ることば、うた]に戻る |
NO (6) | 2002年10月19日 |
「月落ち 烏カラス 啼ナ いて 霜シモ 天に満つ......... 「 楓橋夜泊 」 張継 「 楓橋夜泊 」 張継 ( 「三体詩」、「唐詩選」 ) |
夜中にふと目覚めて、あたりの光景に旅愁を感じ、 おりしも寒山寺の鐘の音がきこえて、いっそうその想いをそそられる. 寒山寺には歴代有名人の書の石刻がたくさんあるが、何といっても有名なのは、この張継の「 楓橋夜泊 」 を、清末の文人 兪ユ[木越]エツ のものである. 以上 出典は 村上哲見 「中国の名句.名言 」 講談社 どうしてこの詩に出合ったのか定かでない. 森鴎外の「 寒山拾得カンザンジュットク 」から辿りついたのやら、 古いことで恐縮だが1970年代によく行った中華料理店の廊下の壁に書いてあったのを覚えたのか? 丁度その頃(1970年代)、朝日新聞の投書欄(と思うが)で最初の行の解釈が二分されていた. つまり、烏の解釈であった. ひとつは、 「月が落ちて 烏カラス が啼ナ いて...」であり もひとつは、「月が烏啼山 のかげに落ちるであり烏でなくて、山の名である...」 その投書欄を読んでいた頃、北京に出張した. 時間が出来たのでルーリチャン(漢字を正しく思い出せない!)という古書、骨董品などを販売している通りに出かけた. 早速、寒山寺の石刻の拓本を購入した. 日本に戻り表装して掛け軸にした.掛けるにふさわしい床の間もリフォ−ムした. が今や掛け軸はどこえ行ったやら!!! タイトル[心に残ることば、うた]に戻る |
NO (7) | 2002年10月25日> |
「To be or not to be: that is the question...」 Hamlet B.1 William Shakespeare |
先にも書いたが、このTo be or not to be ...には様々な訳がある.ハムレットが関わる父と母と叔父にまつわる問題に彼はどう対処せねばならぬのか? 生きて父の仇を討つのか、死して(自殺して)この苦境を逃れるのか? この本を読んだときは、ハムレットの持つ深層心理などには全然気がつかず、青年時代特有の悲観的人生哲学の下、生きるべきか、死すべきかという言葉を格好良いセリフとして受取っただけだった. Grow old along with me ! The best is yet to be, The last of life for which the first was made. Robert Browning "Rabbi Ben Ezra" 「さあ一緒に齡を重ねよう! 最高のものは未だ残されている 人生の最期を楽しめるように、最初は作られた!」. 人間だれしもが(いや人間のみならず、地球上の生物はすべからく)年を重ねて行く. 成長過程にある若者はこれからの完成を目指し、人生の最期なぞ考えるすべもなく、 豊かな人生を楽しんでる. 年寄りはそれが羨ましいか? かって同じ道を通って来たのに? でもまだまだ人生は残っているのだから楽しまぬ事など考えられない. そうだ人生に始めがあったからこそ人生の最期が最高に楽しめるのだ! タイトル[心に残ることば、うた]に戻る |
NO (8) | 2002年11月01日 |
「 石激イハバシ る 垂水タルミ のうへの さわらびの 萠え出づる春に なりにけるかも 」 志貴シキノ 皇子ミコ 万葉集 完全に覚えていないが、見れば(読めば)思い出す うた(古歌) を先ずは万葉集から羅列してみる. 「 ひむがしの 野ヌ にかぎろひの たつ見えて かへり見すれば 月かたぶきぬ 」 柿本朝臣人麿 万葉集 「 足ひきの 山のしづくに 妹イモ 待つと われ立ち濡れぬ 山のしづくに 」 大津皇子 万葉集 「 田児の浦ゆ 打出でて見れば 真白にぞ 富士の高嶺に 雪はふりける 」 山部宿彌赤人 万葉集 「 青丹アオ によし 寧楽ナラ の都は 咲く花の にほふがごとく 今盛りなり 」 太宰少弍小野老オユ 朝臣 万葉集 「 憶良らは 今はまからむ 子泣くらむ その彼の母も 吾を待つらむぞ 」 山上憶良オクラノ臣オミ 万葉集 「 足ひきの 山河ヤマカワ の瀬の 鳴るなべに 弓月ユツキ が嶽に 雲立ちわたる 」 柿本朝臣人麿 万葉集 上のうたで特に好きなうたが、 田児の浦ゆ… と 青丹アオ によし…である. かたや雄大な風景を絶唱し、かたや溢れるばかりの喜びと満足を感じさせる. 一度これらの句に触れると、もう忘れられない! タイトル[心に残ることば、うた]に戻る |
NO (9) | 2002年11月10日 |
「 力を尽くして狭き門より入れ 」 ルカ伝 第13章 第24節 アンドレ ジイド(Andre Gide)の狭き門 ( La Porte Etroite ) に出てくる言葉であるが、ジイドはともかくこの言葉を知っている人は多いと思う. その人達は、多分この言葉を励みに目標到達の為努力しているに違いない. 何事も苦労あっての成功ありと思う. かって会社勤めをしていた時、技術的に非常に難しい事に同僚達と度々挑戦した. 本当に失敗したら明日は無いと思い込む程の仕事が度々あったが、同僚、部下のスタッフと成功裏に完了した時の感激は素晴らしく、完了の度に彼らへの絶対的な信頼感が増えた. 「 絶対的な信頼感 」を持ち得た人達と一緒に過ごせたのは幸せだった. 「An die Freude」 Friedrich von Schiller ( 歓喜の歌、 F.シラ− ) 「Freude, schöner Götterfunken, Tochter aus Elysium ! Wir betreten feuertrunken, Himmlische, dein Heiligtum ! Deine Zauber binden wieder, was die Mode streng geteilt, alle Menschen werden Brüder, wo dein sanfter Flügel weilt.」 「歓喜、美しき神々の火花、 楽園の乙女! われらみな火の酒に酔い、 天なる汝の聖殿に踏み入る! 世の習わしは厳しくわけ隔つるも、 汝が魔力が再び結びつける. 汝がやさしき羽衣の下に憩わば、 全ての人々は兄弟となる.」 「 Ihr stürzt nieder, Millionen ? Ahnest du den Schöpfer, Welt ? Such' ihn überm Sternenzelt ! Über Sternen muß er wohnen.」 「 汝らひれ伏すや? 百万の人々よ、 創造主を予感するや? 世界の人々よ、 星の円蓋のかなたに、創造主を求めよう ! 星たちの上に、創造主は住みたまわん.」 小松雄一郎 訳 12月もまじかに迫った.今年も各地でベ−トベンの「第九」が演奏されるだろう.上記はF.Schillerの歓喜の歌の抜粋である.今まで全ての詩をゆっくり読んだことはなかったので、あらためて読んでみた. 「第九」の演奏が合唱に入ると、いつも心が躍り昂揚する気持ちになった.それは合唱の旋律が醸し出すところ多々あるとしても、やはりシラ−の詩が創り出すこの世に生きる歓びのうたのせいだと思っている. タイトル[心に残ることば、うた]に戻る |
NO (10) | 2002年11月15日 |
「 秋の日の ヴィオロンの ためいきの ……」 [落葉(Feuille Morte )], ポ−ル.ベルレ−ヌ (Paul Marie Verlaine) 「 秋の日の ヴィオロンの ためいきの 身にしみて ひたぶるに うら悲し. 鐘の音に 胸ふたぎ 色かえて 涙ぐむ 過ぎし日の おもひでや. げにわれは うらぶれて ここかしこ さだめなく とび散らふ 落ち葉かな.」 訳:上田 敏 [ Über den Bergen, 山のあなた ] 「 Über den Bergen, weit zu wandern, sagen die Leute, wohnt das Glück. Ach, und ich ging, im Schwarme der andern, kam mit verweinten Augen zurück. Über den Bergen, weit, weit drüben, sagen die Leute, wohnt das Glück.」 「 山のあなたの空遠く 幸(さいはい)住むと 人のいふ. ああ、われひとと尋(と)めゆきて、 涙さしぐみかへりきぬ. 山のあなたになほ遠く 幸住むと人のいふ.」 Carl Busse, カ−ル.ブッセ 訳:上田 敏 [ Pipa's Song, 春の朝(あした)] 「 The year's at the spring, And day's at the morn; Morning's at seven; The hill−sides's dew−pearled; The lark's on the wing; The snail's on the thorn; God's in his heaven −−− All's right with the world! 」 「 時は春、日は朝(あした)、 朝(あした)は七時、片岡に露みちて 揚雲雀(あげひばり)なのりいで、 蝸牛(かたつむり)枝に這ひ、 神、そらに知ろしめす. すべて世は事もなし.」 Robert Browning, ロバ−ト.ブラウニング 訳:上田 敏 今回は上田 敏訳の詩を三首並べた.いずれの詩も誰もが何処かで読んだことがあると思う 時は晩秋、何事もひたぶるにうら悲しい.しかしこのうら悲しさを感じるのは今では心に余裕がある時だけのような気がする. 上田 敏は天才的な語学力と鑑賞力を使用して、英.独.仏.伊の詩を翻訳し明治の詩壇に大きな影響を与えたそうである. これらの詩がもたらす甘美さや、すべて世は事もなしという平和でのんびりした世界を求めるのは、もう過ぎ去った己だけなのだろうか? タイトル[心に残ることば、うた]に戻る |
NO (11) | 2002年11月22日 |
「 緑の丘の 赤い屋根 とんがり帽子の 時計台 ……」 [鐘の鳴る丘] 菊田一男 作詞 古関裕而 作曲 「 緑の丘の 赤い屋根 とんがり帽子の 時計台 鐘が鳴ります キンコンカン メ−メ− 仔山羊も 啼いてます 風がそよそよ 丘の上 黄色いお窓は おいらの家よ 」 齡を重ねるとともに(この表現は好きではないが、客観的にいうと)ある日ふとこの先のこと、今までのことなど想う時がある. これまでの事、特に小さい頃の事など滅多に想うことなどなかった.4歳まで川崎市にいたが空襲が激しくなり父を残して福島県田村郡三春町に疎開した. 食べるものにも事欠いて、終戦直前にはドングリ(団栗)の粉まで配給になったがとても苦くて食べられなかった. 東京大空襲で家は焼き払われたが、父は体ひとつながら無事に家族のもとへ戻ることが出来た. 確か小学2年生で終戦を迎えたが、食糧難が暫く続き耐乏生活を強いられた.その頃菊田一男作のNHKラジオ小説「鐘の鳴る丘」が放送された. 家にはラジオなど無かったので何処でこの放送を聞いていたのか思い出せないが、遊びから家に戻る途中街頭放送で聞いたのかも知れない. 冬は寒く低学年だけかも知れないが、教室には薪スト−ブがあった.でも燃やす薪がなく生徒全員で山へ薪拾いに行ったりした. 生憎小学校が火事で焼けて、午前と午後に分けた二部授業を体験した.遊ぶ道具なども無かったが、鬼ごっこ、隠れん坊、ゴムボ−ルの野球などして遊んだ. 夕刻薄暗くなって、遊び疲れて家路につく頃に「鐘の鳴る丘」が放送された.戦災で家族を失い浮浪児となってしまった子供達がテ−マだった. 「 緑の丘の 赤い屋根 とんがり帽子の 時計台 ……」のメロデイは今でも覚えている.この歌を聞くと当時の貧しかった生活を思い出す. 恐らく余りにも昔のこと故、覚えている人も段々少なくなるのだろう.青春時代とはまた異なる想い出である. タイトル[心に残ることば、うた]に戻る |
NO (12) | 2002年12月01日 |
「 春は曙. やうやう白くなりゆく山際すこしあかりて、紫だちたる雲の細く たなびきたる. 夏は、夜. 月の頃は、さらなり.闇もなほ.蛍飛びちがひたる……、 秋は、夕暮.夕日のさして、山の端いと近うなりたるに……、 冬は、つとめて. 雪の降りたるは、いふべきにもあらず.霜のいと白きも、また さらでもいと寒きに、火など急ぎおこして……、」 言わずと知れた清小納言の「枕草子」の冒頭である.思い出す人も多いことだろう.季節は古来より春に始まり冬に終わる.暦の世界は日本だけでなく世界の大半で清小納言以来変わらない. いよいよ年の瀬、師走、である.余り伝統とか、慣習になどこだわらなくても、何故か年の瀬、師走と聞くと来し方、過ごし方など振返ってみるのは不思議である. 春、夏、秋、冬 人はそれぞれ好きな季節があるだろう.私は冬、それも雪のある冬が好きだ.雪国では雪で迷惑を蒙っているだろうが、私は例え積もらなくてもちらほらと天より降りて来る雪を見ると幸せを感じる. 一番良いのは降ってる雪を窓から眺めることである.無心に、途切れることもなく、ひたすら降り続ける雪を眺めることが大好きだ.理由は分からない. み吉野の 山のしら雪 つもるらし ふるさと寒く なりまさるなり 坂上是則 古今和歌集 待つ人の ふもとの道は絶えぬらむ 軒端の杉に 雪おもるなり 藤原定家朝臣 新古今和歌集 「心に残ることば、うた」終わり、ご高覧有難うございました. タイトル[心に残ることば、うた]に戻る |