想うままに |
[ホームページ] | (1)...日記 | 2003/06/14 |
(2) Wimbledon と the River Thames | 2003/07/04 | |
(3) 城の崎にて | 2003/07/14 | |
(4) 晴耕雨読 | 2003/08/09 | |
(5) 桐一葉 | 2003/08/20 | |
(6) 重陽の節句 | 2003/09/15 | |
(7) 朋友 | 2003/10/09 | |
(8) 論語 | 2003/10/29 | |
(9) 馬肥ゆる秋 | 2003/11/16 | |
(10) 年の瀬 | 2003/12/10 | |
(11) バベルの塔 | 2004/01/01 | |
(12) ひむがしの・・・・ | 2004/01/18 | |
(13) ラデツキ−行進曲 | 2004/02/08 | |
(14) 暖冬 | 2004/03/03 | |
(15) Broadband | 2004/03/27 | |
(16) 人を恋ふる歌 | 2004/04/11 | |
[徒然なるままに] |
(1) ...日記 | 2003年06月14日 |
ふと「餞別」という言葉が頭をよぎった. 餞別の語源は、誰かが書いた日記に馬の餞(はなむけ)と記してあったことから、現在の餞別の意味が生まれたと昔習ったような気がした. だが悲しいかな何日記だったか思い出せない. いろいろな日記に「馬の餞」が載っていないか探した. やっと「土佐日記、紀貫之著」に記してあるのを見つけた. 男もすなる日記といふものを女もしてみむとてするなり、、、、、という書き出しで、紀貫之(872〜945?)が国司の任を終えて京の都に帰るまでの旅程を、女性の筆に託し、仮名文字で書いた. わが国最初の日記文学と言われている.土佐日記を読んだことを懐かしく思い出す人もいることだろう. 土佐日記を最初として、「蜻蛉日記、かげろう日記、藤原道綱母著」、「和泉式部日記」、「紫式部日記」、「更級日記、、さらしな日記、菅原孝標女(たかすえのむすめ)著」と続々と書かれている. 土佐日記では紀貫之が「男が書くものと云われている日記なるものを女でも書いてみよう...」とあたかも女性の作のように偽っている. しかしこの後に続くのは女性の筆に依る日記である. 何故[男もすなる]と云われていたのかは皆目見当がつかない. 日記文学として後世に名高い作品であるが、若し超現代語に訳したら、何と読めるのだろうか? 当時の言葉も難解だが、多分超現代語も理解出来ないだろうと思う. タイトル[想うままに]へ戻る |
(2) Wimbledon と the River Thames | 2003年07月04日 |
Wimbledon といへばテニスで有名だが、丁度今選手権が開催されている. 時差の都合で毎日遅い時間に目を擦りながらTVの実況を見ている. 例年今ごろは英国とスカンジナビアに滞在している. 英国では、いつも旅の計画時に Wimbledon のテニスを忘れて、Richmond にいる時などはすぐ東の方角に Wimbledon があるのに、TV観戦の羽目になっていた. 一昨年は、英国の Henman が男子シングルスで勝ち上って、国中大騒ぎだったが今年も Henman は第10シ−ドで勝っているのでやはり英国は燃えていることだろう. 昨年の夏は北海道に車で行って来たので英国には行かず仕舞い. 今年の夏は出かけようと考えていたが用事が出来取止めた. 私はテムズ河(the River Thames)が好きだ. ロンドン市内を流れる大きな河より、郊外をゆっくり流れる川が好きだ. 水は満々として、川岸まで溢れるように、ゆっくりと流れる川辺で、柳の木蔭で人は横になって休んでいる. 川に沿って散策をすると、時に川辺に小さなテントを見かける.きっと釣人なのだろう. ゆっくりした気分になり何とも心地よい. 何故か日本の川と違う感じがする. 長い間何故だろうと思ってきたが、多分私が知っている日本の川には余り木が生えていないから、そう思うのだろうか? 町の中を流れる川辺に、柳の並木があるのを見かけるが、それでも川の水位が低いので違う感じを持つのだろうか? 最上川や千曲川のほとりを歩いて見たいと思う.果たしてどんな気分になるだろうか? ロンドン西方の郊外の Richmond は日本からの航空機が到着する Heathrow 空港の東方に位置する. 川を望む丘にある The Petersham Hotel に滞在したことがある. 窓辺から蛇行しながら流れる川を小舟が行くのが見える.手前は牧場で牛がのんびり草を食んでいる. それはとても楽しい眺めである. ロンドン郊外のテムズ河の支流は小さな川で(川幅が数十米もない位)、ロンドンへ向って西、北西から流れて行く. ロンドンから川を遡って西に行くと(記憶では)、 Marlow という綺麗な小さい町がある. テムズ河に架かる真白な Marlow Bridge (マ−ロウ 橋)のすぐ側の教会の対岸に、Compleat Angler Hotel がある. この名前は Marlow 出身の随筆家 Issac Walton の著書 「The Compleat Angler、コンプリ−ト アングラ−(釣漁大全)」に由来する. ホテルの中には、至る所に魚の絵がある. ホテルのバ−から,川面を滑リ行くボートや、シンプルで幾何学に綺麗な橋、教会などを眺めながらの一杯も亦楽しからずやである. 川はロンドンへ向かう途中 Windsor を通る. 近くにテムズ河に面して Orkley Court Hotel というホテルがある. 建物の外壁には色々な怪物の像が付いていてドラキュラ映画では良く舞台になっているという. 広い庭には船着場があり、ホテルで食事をするのに人々は小舟でやってくる. これらのホテルはテムズ河に沿って建てられたクラッシックな宿で、特有な雰囲気がある.とても好きな場所と宿で休暇の度に行っては何回も何回も滞在した. タイトル[想うままに]へ戻る |
(3) 城の崎にて | 2003年07月14日 |
「城の崎にて」は志賀直哉の短編の一つである. 今ごろ何で志賀直哉かと言えば、最近彼の短編の一つである「小僧の神様」を読みかえしたからである. 志賀直哉と言えば誰しも代表作の「暗夜航路」を思うだろうが、私には「城の崎にて」なのだ. 若かりし折、優れた随筆を書きたかったら「城の崎にて」を良く読むことと教えられた. 学ぶべきことは何なのか、結局分からずじまいだった. 今になって読み返して見ると、「城の崎にて」の文体が、好きな漱石の文体に似ているような気がする. 近年鳥取県の方に出かけることがあったが、その際城の崎温泉に寄って見たくなった. 実現しなかったが、志賀直哉が山手線の電車に跳飛ばされて養生に出かけた温泉を見たかったのだ. 一生懸命に志賀直哉などを読んだのは、ただ読書が好きで作家を志したわけではなかったが、随筆などには心引かれるものがあった. 後年会社勤めの時に、専門誌に依頼されて技術的なことを幾度となく寄稿した. 要望されたテ−マを満足させるようなデ−タ、写真が足りず、締め切り日を気にしながら悶々とした事を思い出す. 会社では書く時間が無く、自宅へ持ち帰り夜半から朝まで何日もかけて苦しみながら書いた. 朝、空が明るくなるにつれて、小鳥の鳴き声が聞こえる. そのうち新聞配達の気配が伝わる. ああ流行作家などは連日このような状態にあるのかとつくずく思った. 文学は書くより読む方が好きだった. 高校卒業までに、昭和20年以前の代表的な作家の作品は殆ど読破した. また高校生時代は古文では、生意気にも、先生といい勝負が出来ると思っていた. 最初に文章を書いたのは、大学入学直後に旺文社に依頼された「私は如何にして不得意学科を克服したか!」という文で1200語くらいだったと思う. 受験雑誌の「蛍雪時代」に寄稿した. それ以来、技術専門誌以外に書いたことはない. 高校生にもなると自分の将来をおぼろげにでも考え始めたが、一番志望は新聞記者だった. 海岸沿いの小さな町に住んでいた中学生の時、毎日新聞の宣伝映画を見た. 新聞社のデスクから記者が電話で外国の誰かから英語で取材をしているシ−ンがあった. 英語で話すのを見て大変驚いた. 他国語を流暢に話すなど信じられなかった. それが格好良く映ったのだろう. それで新聞記者になり海外で活躍したいと思った. 高校では新聞部に入ったが、一年位で止めてしまった. 何故止めたのか、今はその頃の記憶が全然なく、分からない. 結局理科系を選び大学では「精密工学」を学んだが、海外駐在員になったり、後年アメリカの会社に勤めたりして、文学ではなく語学とずっと縁があるようになった. タイトル[想うままに]へ戻る |
(4) 晴耕雨読 | 2003年08月09日 |
珍しく今夏は冷夏が長かった. その反面欧州は暑い夏を迎えているようだ. 欧州でも北に位置する国々では夏はそれ程暑くはない. 暑い日々が続くとク−ラ−など部屋にはないのが普通だから、大変だ. 今年は冷夏に加えて、梅雨でもそれほどの雨は降らなかった気がする. いつ止むかとも知れぬほど降り続いた長い梅雨の雨ももう記憶の彼方に去ってしまった. 晴耕雨読という言葉がある. 若者が使う言葉ではないだろうが、読書少年時代には随分憧れた言葉であった. 耕すことなどは考えず、日がな一日読書が出来る日があれば素晴らしいと思っていた. 長い歳月を家族の為に身を粉にして働き、年老いるにつれて故郷に帰る. 時間は十分にある. これからは早起きし作物を作り、月明かりの中で1日を終える. 降雨の日は好きな本をひもどき読書に親しむ. これほど健康な生活はないだろう. 当然ながら時代とともに文化や言葉も変遷する. 今時「晴耕雨読」など使う人がどれほどいるだろうか? 今は携帯電話とインタ−ネットの時代だ. 人は雨が降れば、読書の代わりに電話とコンピュ−タで日を過ごすのかも知れない. 新聞等に依れば、スイスのマッタ−ホルンの岩場でも岩塊をいわば接着している氷が溶けて滑落の危険があるそうだ. そのスイスから手紙が届いた. 今年1月末に滞在したホテルから来るスキ−シ−ズンを迎えての誘いである. 暑中見舞いや残暑見舞いの今日この頃ではあるが、来シ−ズンはスイスかイタリアかそれともオ−ストリアか、さてどこで滑ろうか? 考えるだけでも心がはやる. 交通手段を調査し、時刻表を調べ、行き先を決める. 晴耕雨読ではなくインタ−ネットの世界に嵌まり込む日々が続く. でも速度は落ちたが読書はこれからも最大の楽しみである. タイトル[想うままに]へ戻る |
(5) 桐一葉 | 2003年08月20日 |
「 桐一葉 落ちて 天下の 秋を知る 」 住んでいるマンションの敷地に桐の木がただ1本植えてあるのを見つけた. マンションの周りに植える木としては珍しい木だと思った. 田舎の家の縁側の先に桐の木がやはり1本立っていた. 学生の頃夏休みで帰省して、9月も間近になると再び家を離れる寂しさから、ひぐらし(鳴き声からカナカナ蝉と呼んだ)の声を聞きながら何とはなしに桐の木を眺めていた. 時には大きな桐の葉がふわっと落ちるのを見て天下の秋も近いと感傷的になった. この句は唐人の詩 「一葉 落ちて 天下の 秋を知る 」 から来ていて大阪城落城の故事として知られている. 後に坪内逍遥の「 桐一葉 」がある. 桐の葉は枯れる前の未だ青い内に散るから余計切なく思えるのだろう. 「 七夕の 折り鶴褪せし 日照りかな 」. これは私が中学生の時に詠んだ句と自分では思っている. 夏休みの宿題で詠んだ自信作だったが、何の反響もなくがっかりした. ただ全国大会で表彰されたようにも思うので、随分記憶とはいい加減である. 今年の冷夏からは、7月の七夕で笹に飾った折り鶴がそのまま外に置かれて色褪せるほどの日照りが続いたことなど想像し難い. 今夏は別として、昔の夏はこんなに暑くなかったと人は云う. 何故かは理由も考えられるのだろうが、猛暑では句を詠む気持ちにもなれないだろう. 古歌を探しても猛暑の句は見つからない. 「 道の辺に 清水流るる 柳かげ しばしとてこそ 立ちどまりつれ 」 西行法師 新古今和歌集 「 よられつる 野もせの草の かげろひて 涼しく曇る 夕立の空 」 西行法師 新古今和歌集 予報では今週後半からやっと暑い夏が来るらしい. でも8月も20日を過ぎれば所によっては初秋の気配が漂う季節を迎えるだろう. 「 秋来ぬと 目にはさやかに 見えねども 風の音にぞ おどろかれぬる 」 藤原敏行朝臣 古今和歌集 タイトル[想うままに]へ戻る |
(6) 重陽の節句 | 2003年09月15日 |
9月9日は重陽の節句と呼ばれる. 中国では奇数を陽数といい、陽数が重なる日を祝う. いつもこの日が近くなると、ラフカデイオ ハ−ン (Lafcadio Hearn、日本名 小泉八雲)を思い出す. 彼の作品のどれかに重陽の節句の言葉が出てくるからだ. 彼はこの日のことを Festival
of Cyoyo と書いていたと思う. 9月は自分の誕生月なので結構愛着を感じる. 今夏は涼しい日々が続いたが、その反動か9月も半ばになっても連日暑い日で、文字通り残暑の日々だ. 然し自然は自分のペ−スを忘れず、そばのゴルフ場で鳴く蝉も今はつくつ法師の声である. 11日は「中秋の名月」で、雲もなく本当に美しい月を見る事が出来た. 「 分け登る 麓の道は異なれど 同じ高嶺の 月を見るかな 」 詠み人知らず 「 月ずきに 月見る月はおおけれど 月みる月は この月の月 」 詠み人知らず まん丸く光輝く月を見ていると、人類が足跡を残した日の事が思い起こされる. 月に行く夢は既に叶えられた. 夢の実現を飽くまでも追求する、また出来るのは人類しかいないと思うが、本当にその通りかは誰も分からない. 齡を重ねると、えてして現在が自分にとって楽しく、平和ならそれで十分であるとなりがちである. 夢は別に大それた事でなくとも、ささやかな事でも、その人にとって希望を与えるものなら何でも良い. では自分の夢、希望とは何だろう、月に向かって我がことをしみじみと考えるのである. 秋といえば酒の季節(?)の到来である. 自分はアルコ−ル飲料は好きだが日本酒の知識は殆どない、つまり余り日本酒を飲まない. でも自分の抱いている雰囲気で飲めるなら酒は好きだ. 「 白玉の 歯にしみとおる 秋の夜の 酒は静かに 飲むべかりけり 」 若山牧水 アルコ−ルに飲まれるのは嫌いだ. 酒は静かに飲むに限ると思っている. タイトル[想うままに]へ戻る |
(7) 朋友 | 2003年10月09日 |
朋友という言葉がある. 「ポンユウ」ともいい仲の良い友人をそう呼んでいるが、現在の社会でこの言葉はどの程度使用されているだろうか? 論語と言えば孔子とその弟子たちの言行録として世に知られている. 論語は二十篇あるがその一つの「學而第一」に次のような言葉がある. 子曰、學而時習レ之 不ニ亦説一乎. 有下朋自ニ遠方一来上、 不ニ亦楽一乎. 人不レ知而不レ慍、 不ニ亦君子一乎. [子曰く、學びて時に之(これ)を習ふ、亦(また)説(よろこ)ばしからずや. 朋(とも)あり遠方より来る、亦(また)楽しからずや. 人知らずして慍(うら)みず、亦(また)君子ならずや.] 孔子言う、学んだ事をいつも繰り返し習っていると、いつの間にか理解が深まって自分のものとなり、自由に働きを表すようになる. これはなんと嬉しいことではないか. このように勉強していると、自然に同学同志で遠くから慕って来るものがあって、学問について話し合いをする. これはなんと楽しいことではないか. 修養と学問は自分の力でできても、人との関係は時のめぐり合わせで、必ずしも自分の思うようにはならぬが、さて、世人が自分の学徳を認めてくれなくても、不平不満を抱かない人は、なんと学徳の高い、りっぱな人ではないか. 吉田賢抗 訳 有朋の有は一説に友という. 朋友とは実際には孔子の門人、或いは孔子の學を慕う人たちで、近い所の人はもちろん、遠くからも慕い集まる人の事である(吉田賢抗による). 随分前置きが長くなったが、よく私たちが使った「ポンユウ」は学問には関係なく単に友人という意味である. 記憶が正しければ「ポンユウ」の由来は上述の孔子の言葉から来ていると思っている. 齡の重ね現役を離れるとやたら人恋しく、友恋しくなるのは誰しも同じとみえて今年は「ポンユウ」達の集まりが幾つかあった. 春は中学時代の同窓会が福島県の港沿いの町であった. 夏には福島県立磐城高校時代の親友達と地元に近い小名浜海岸で一夜語り明かした. 秋は箱根で大学の学部時代の同級生達と一晩、学生時から今までのことを振返った. 最近は最初の会社の同期入社組が夫人同伴で白馬に集まった. 来月は同じ会社のOB会が箱根湯本である. 皆誰しも同じだろうが、遠く離れていても、何十年も会えなくても「ポンユウ」はいつでも「ポンユウ」だとつくずく思う. さて次の楽しみは新たな「ポンユウ」の到来である. それはちらほら聞えてきた雪の便りのことである. 今シ−ズンも欧州のアルプスで滑りたいと願っている. コ−スを調べたり、時期や場所を決めたりするのは大変楽しい事である. タイトル[想うままに]へ戻る |
(8) 論語 | 2003年10月29日 |
論語読みの論語知らず. 論語の文章だけはすらすら読めるが、その説くところの精神は、少しも分かっていない. 書物を読んで、言葉の上では理解するが、その真髄を体得せず、まして実行などできないことをいう, [いろはがるた(京都)の一]. (7)項で朋友は論語から来ていると書いたが、ではどの程度論語を覚えているかと斜め読みをしてみた. 知っている(覚えている)言葉が結構あるかと思ったが、驚いた事に、朋友の言葉に加えて、わずかに下記の言葉だけしか覚えていなかった. 「温故知新」はよく聞くが出典が論語だったことは忘れていた. 子曰,温レ故而知レ新、 可ニ以爲師一レ矣. [子曰く、故(ふる)きを温(あたた)めて新しきを知れば、以(もつ)て師爲(た)る可(べ)し.] 孔子言う、 先人の述べた学、いわゆる過去の事柄や学説などを謙虚に学びとり、思い究めながら、そこから現実にふさわしい新義が発見できるようになれば、人の師表となる資格があるものだ. 吉田賢抗 訳 子曰,朝聞レ道、 夕死可矣. [子曰く、朝(あした)に道を聞かば、夕(ゆうべ)に死すとも可なり.] 孔子言う、もしも朝方に我々が当然行わなくてはならぬ人たるの道を聞くことができたら、かりにその晩に死んでもよろしい. 吉田賢抗 訳 余り知識が無いことを自ずから暴露してしまった. 然し論語を多少かじったのが高校時代だったことを思い出した. 考えてみれば、僅か3年の高校時代に数多くの本を読み、よく学んだ(よく遊ばなかったが)ものだと今になって感心するばかりだ. ヘミングウエイ(Ernest Hemingway)、モ−ム(William Somerset Maugham),ハックスレイ(Aldous Huxley)などもその頃熱心に読んだ. 振返ってみれば、あの時以外にあの時ほどの熱心さで学ぶ気持ちを持った事は無かったと思う. 何故若者をそんなに駆り立てたのだろうか? それはもう分からない. でも未来、将来への夢を持たせてくれたと思う! タイトル[想うままに]へ戻る |
(9) 馬肥ゆる秋 | 2003年11月16日 |
秋も大分深まって来た.暦は着々と初冬に近ずいている. 気候的には今年は暖冬を迎えるのか、11月になっても暖かい日々が続く. 会社勤めの時とは異なり毎日電車に乗るわけではないので、人々の衣服の変化も余り見ることもなく、空調は暑すぎるほどになっているし、都会に住んでいると本当に季節の変わりを感じられなくなってしまう. 秋と言えば、馬肥ゆる秋 なのであるが、何故馬肥ゆる秋なのかは、多分この日本一短い手紙といわれている 「 一筆啓上 火の用心 おせん泣かすな 馬肥やせ 」という文に由来するかと思う. 今時、知っている人も少なくなったろうがこの手紙は、「 全てを焼き尽くす火事は恐ろしい、長男の仙千代をちゃんと育てよ、馬は補充できるように養っておけ 」 と簡潔明瞭な文で意思を伝えている. 作者は本多作左衛門重次といい、家康の命も救ったこともある勇猛果敢な武将で、鬼作左と呼ばれていたという. 天正14年(1586)から5年間岡崎城の城代を勤めた. その重次が天正3年の長篠の合戦で、陣中から妻宛に書いた手紙がこの文である. ただこの文の出典はないようで、重次が妻に送った根拠もないようである. 江戸幕府編纂の、大名.旗本系譜集にも記載がなく,享保元年(1716)の「 岩淵夜話 」という本に「 一筆申す 火の用心 おせん痩さすな 馬肥やせ かしく 」 とあるそうだ. 関が原の合戦(1600)に勝ち天下を征した家康は、作左衛門の功に報い、作左衛門の長男仙千代こと本多成重を越前丸岡城主にしている. まあ余計なことを書いたが、文章を簡潔明瞭に書く代表的な例文であるとして知られている. 文章を創るには、簡潔にして明瞭であることが大切だが、リズムも大切である. 文には起承転結が大切と習った記憶がある. 起: ある内容を述べ起こす. 承: それを請けて承(う)けて展開する. 転: それまでの内容を一転させる. 結: 全体をまとめる. 京の五条の糸屋の娘 姉は十七、妹は十五 諸国諸大名は弓矢で殺す 糸屋の娘は目で殺す この俗謡は江戸時代の学者、頼山陽(らいさんよう)が起承転結法の見本として作ったものといわれる(一部、「理解しやすい新漢文」 江連 隆著 文英堂より引用). 中学生の頃、厭々ながら幾度となく弁論大会に駆り出された. 原稿を自分で書くのだが、その際起承転結の大切さを教えられたような気がする. 後年仕事上、よく講演を依頼されたが、話すことでも、[起承転結]が大変役にたった. タイトル[想うままに]へ戻る |
(10) 年の瀬 | 2003年12月10日 |
12月の声を聞くと何故か慌ただしさを感じてしまう. いわゆる師走の感じである. 毎年一年の長さは決まって(閏年を除けば)いるが、一年たりとて同じ年はない. 私のホ−ムペ−ジを見てくださる方々は殆どが友人、知人だと勝手に想像しています. 余り面白くもない文を恥を偲んで書いているのは、私が元気ですという挨拶代わりと、頭の体操のためにと考えているからです. 2月はじめに、2回目になるが念願のツエルマット(Zermatt、スイス)にスキ−に出掛けた. 太陽に映える白銀のマッタ−ホルンは素晴らしかったが、残念ながら1日しか晴れず後は雪の降る中を滑っていた. 滑り足りずまた再び来るぞと誓った. 4月に日本の工作機械工業に多大な貢献をされた方が100歳で亡くなられた. 私が30年近く働いた会社の創設者である. この方なくして日本の数値制御工作機械の発展は考えられない. 天寿を全うされたとしても、寂しく、悲しい. 7月には、材料試験機の草分けで、世界的に名を知られたアメリカの会社の創設者が亡くなられた. 彼がMITの学生時代にナイロン製のパラシュ−トの釣ひもの強度を調べる為に開発した. その後Boston近郊に会社を設立した. 世界中の材料試験機メ−カが型式を表わすのにその会社の名前で呼んでいる. 私はこの会社に9年勤めた. 国は異なるが、二人の世界をリ−ドする技術を有する企業の創設者の下で働けたのは、大変嬉しいことであった. お二人とも大変謙虚で、人格者で、常に品質第一を唱えておられたのが印象的であった. 最近医療ミスが話題になっているが、夏に家族が胆嚢の摘出手術を受けた. 現代医学では、開腹せずに、お腹に4箇所小さい孔を開けて、そこに腹腔鏡(内視鏡)を差しこみ手術をするのが一般的であるそうだ. 医師から、手術件数、失敗例や件数などの質問に率直に答えて貰えたので、信頼して頼むことが出来た. 遠慮せず、気懸かりなことは何でも尋ねるべきだと思った. 齡を重ねると何故か人恋しくなる. 今年は福島県の海沿いの町の中学校の同窓会、高校時代の友人達との会合、大学の同級生の集まり、会社の同期入社組の親睦会、会社OB会への参加等々、結構旧友と会う機会が増えた. 11月末には、二番目の孫が誕生した. 最初の孫が生まれる前は、小さな子供を見ても無反応であったが、今は路上でも、エレベ−タの中でも、目が合えばニッコリ笑いかけたり、声で挨拶したりと、随分変わったなと我ながら驚いている. 最近、私の選択ではないが、プロバイダ−が変わってしまった. ぶつぶつ言いながらホ−ムペ−ジを新プロバイダ−のサ−バ−に引越した. 今までOKだったのがプロバイダ−が変わったら、アップロ−ドが出来ないファイル名や写真名が出て来た. 全てのファイル名や写真名をチェックし、修正の必要あれば修正した. それに伴いHTMLソ−スも一部修正した. 一番の問題はアクセスカウンタの引越しだった. カウンタの表示形式は分かるのだが、それを働かすのに苦労した. やっと全部OKとなってほっと一息ついた所だ. 後は年賀状の準備か? かくて今年も暮れて行く! タイトル[想うままに]へ戻る |
(11) バベルの塔 ( Tower of Babel ) | 2004年01月01日 |
謹賀新年 お健やかに、希望に満ちた新春をお迎えのことと存じます. 今年も良い年でありますよう心よりお祈りいたします. 新年もこれまで同様に、私が元気でいる証しにと、月2回〜3回のペ−スでホ−ムペ−ジに駄文を追加、更新していきたいと思っています. 新年もどうぞ宜しくお願いいたします. 私はよくNHKの衛星放送の海外ニュ−スを見る. 一つには、国際性のあるニュ−スの取り上げ方が国によって違うのが国民生、国情を表わしていて面白いからだ. もっと楽しいのは異なる言葉を直に聞けることである. 外国の言葉として、たまたま少し勉強したので知っているからか、一番好きな話し言葉は英語だ. 但し米語ではない. 多少巻き舌加減の米語も快活感があり嫌いではないが、英国人が話す言葉は、イントネ−ションが誠に心地よく一生懸命に真似をした. かってアメリカのホテルで掃除係の小母さんに、英国語風アクセント(British Acccent)の英語(米語)を話すと言われた. 英国人の友人達にその事を話すと、彼等はアクセントとは何事かと大変立腹した. いわずもがなだが、英国の言葉をアクセントなど言われるのは許せない、米語に比して英国語は本家本元なのだから と憤っているのだ. 次に好きなのがドイツ語である. 発音の難しい(というか正しく発音出来ない)ウムラウト、つまりÄ、Ö、Üなどの単語は適当に聞き流しても、ガチガチな発音も又聞いて楽しい. 若かりし頃、外国映画を沢山見た. 勿論フランスやイタリ−映画も. それらの映画を見ながら聞いたフランス語やイタリア語、またスペイン語も嫌いではなかったが、のめり込む程でもなかった. シンガポ−ルや香港で聞く英語は慣れないと非常に分かりにくい. 私の想像だけど、多分広東語(カントン語)のアクセントで話すのだろうと思っている. でも慣れると面白い. 然し、誰しも思うだろうが、何故こんなに数多くの言葉があるのだろう? 世界中何処へ行っても言葉が同じなら、単純な発想だが、各国間の理解度も深まり、トラブルも随分と減少するような気がする. 旧約聖書などによれば、世界の言語は最初は一つしかなかったようだ. それはヘブライ語? その時代、バベル(バビロン)の平原にやって来た人々が天まで届く塔を作って有名にしようと考えたが、神はそれを見て人間の行為は傲慢であるとして、建設が進まぬよう一つだった言語を多くに分けて、人間達を混乱させ言葉を通じないようにした. その塔こそ旧約聖書に登場する巨塔、バベルの塔である. 私は バベルの塔 (Tower of Babel ) のことは、タイトルはもう忘れたが、兄から貰った英文の本で読んだ. やはり単一言語が世界平和の道へ連なる唯一の方法なのか? そうならば、今は余り人気のないエスペラント語の復活が望まれるが! タイトル[想うままに]へ戻る |
(12) ひむがしの・・・・・・・ | 2004年01月18日 |
ひむがしの 野にかぎろひの たつ見えて かへり見すれば 月かたぶきぬ 柿本朝臣人麿 萬葉集 「朝に東方を見ると空はぱっと赤く染まって正に夜が明けようとしている、振返って西の空を見ると月は西方に傾いている」 といううたであるが、かぎろひとは、後世の陽炎とは異なり当時は広く光の事をいったらしい. 今年の正月は穏やかな天候に恵まれ、初日の出も拝めて気持ちのいい年の始めとなった. 住み処のマンションの前がゴルフ場で、そこの松林の上から日が昇るのが良く見える.野ではなくベランダから初日を拝みながらふと冒頭の句を思い出した. 二日には車で1時間ほどの所に住む零歳の孫に会うため家族で出掛けたが、近くに綺麗な、無人の神社があるので皆で初詣に行った. 帰路富士山を遠望する公園まで散歩をした. 風もなく、暖かく、余り人もいなく、のんびりと歩いた. 三日には散歩時に見つけた近くの小さな神社に帰省中の息子とお参りした. 例年は主として明治神宮、鎌倉の鶴が丘八幡、江ノ島神社等へお参りに出掛けるのだが、今春は近場の翠ヶ丘出雲神社へお参りに行った. 本当に質素な神社で町内会の人達が手伝っているような印象だが、お守り、破魔矢、絵馬をいただくのは例年通りであるが、神社の方にお神酒をご馳走になり、どうぞ良いお年をと挨拶されたのは初めだ. すごくHappyな気分になった. さて話は変わるが、2月7日から昨年に引き続いてスイスのツエルマット(Zermatt)にスキ−に出掛ける予定だった. 昨年も行ったが天候が悪く、また広すぎて滑り切れなかったので再挑戦したかった. 然し都合が悪くなり、2月7日からのスキ−行はキャンセルせざるを得なくなった. でもまだまだこの先、山と雪はどこにも行かないのだから、体調だけ整えておけば何時でも行って滑れると思っている. 昨日関東でも雪が降った. 道路上の雪はすぐ溶けたがゴルフ場の芝生に真白に積もった雪は暫し目を楽しませてくれた. 玄関から西方を見れば、月の傾くのが見えるが、 雪で白一色に化粧した大山や丹沢の山々が見えるのも楽しいことである. 穏やかな気候で始まった2004年、正月は短い時間ながら家族と共に過ごすことが出来、つくずく今年が皆に良い年であって欲しいと思う. この文を読んで下さる方々も幸せな一年を過ごして下さい. タイトル[想うままに]へ戻る |
(13) ラデツキ−行進曲 | 2004年02月08日 |
新年もあっという間に2月の声を聞いた. もう正月の話題でもないと思うが、例年正月に楽しみにしているTV番組がある. NHK番組恒例のウイ−ンフィル(Wiener Philharmoniker)によるニュ−イヤ− コンサ−トの中継である. 楽しみに待つのは、プログラムにある曲ではなく、アンコ−ルで演奏される曲である. アンコ−ル曲とはいえ毎回のように演奏されている. それは「ラデツキ−行進曲」である. 心地よいリズムも素晴らしいが、聴衆が手拍子を打って演奏に参加しコンサ−トの最後を盛り上げるのを見るのは本当に楽しい. ウイ−ン フィルハ−モニ−管弦楽団の演奏中に指揮者が突如聴衆の方に振り向いてタクトを振ると、皆待ってましたと手拍子で応える. このシ−ンが好きで、ひたすらこの瞬間を待っているといえば、ひとは狂っていると評すかもしれない. ヨハン・シュトラウス(父、Johann StraussT)が作曲した「ラデツキ−行進曲(Radetzky Marsch)」で有名なラデツキ−将軍は、1766年にボヘミヤに生まれたが、オ−ストリア軍に入り、対トルコ戦争で活躍した. ナポレオン戦争では、彼の率いる軍隊がイタリアで勝利を挙げヒ−ロとなった. ところで前にも書いたが、年末恒例番組の「第九」の演奏を見たり、聴いたりするのもまた楽しいことである.音楽演奏は別として、待望んでいるのは「An die Freude (歓喜の歌、 F.シラ−)」の合唱である. Friedrich von Schiller によるこの荘厳な響きの詩には感動を覚える. 「An die Freude」 Friedrich von Schiller ( 歓喜の歌、 F.シラ− ) 「Freude, schöner Götterfunken, Tochter aus Elysium ! Wir betreten feuertrunken, Himmlische, dein Heiligtum ! Deine Zauber binden wieder, was die Mode streng geteilt, alle Menschen werden Brüder, wo dein sanfter Flügel weilt.」 「歓喜、美しき神々の火花、 楽園の乙女! われらみな火の酒に酔い、 天なる汝の聖殿に踏み入る! 世の習わしは厳しくわけ隔つるも、 汝が魔力が再び結びつける. 汝がやさしき羽衣の下に憩わば、 全ての人々は兄弟となる.」 「 Ihr stürzt nieder, Millionen ? Ahnest du den Schöpfer, Welt ? Such' ihn überm Sternenzelt ! Über Sternen muß er wohnen.」 「 汝らひれ伏すや? 百万の人々よ、 創造主を予感するや? 世界の人々よ、 星の円蓋のかなたに、創造主を求めよう ! 星たちの上に、創造主は住みたまわん.」 一部のみ掲載、 小松雄一郎 訳 「第九」の演奏が合唱に入ると、いつも心が躍り昂揚する気持ちになった.それは合唱の旋律が醸し出すところ多々あるとしても、やはりシラ−の詩が創り出すこの世に生きる歓びのうたのせいだと思っている. 人生万歳! タイトル[想うままに]へ戻る |
(14) 暖冬 | 2004年03月03日 |
新年のはじめに月2回〜3回は追加、更新すると書いたが早くも2月はそれが出来なかった. 読んで下さる方にはお詫びします. 2月は随分暖かい日があって季節はもう春になったのか? と思ったが3月に入りここ数日は結構寒い日が続き、そう簡単には春は来ないようだ. それでも散歩路の傍らには梅の花やら、色とりどりの花が咲いていて間違いなく春到来を告げている. 次第に暖かくなるのを待ち望んでいる人は多いだろうが、私は冬に別れをいうのは寂しい. 学生の頃住んでいた札幌は3月にもなると、雪解けで路上は水浸しになり、一冬分の砂(すべり止めに路上に撒いた?)と混じってひどい泥濘みができ歩くのが大変だった. その泥んこの町の思い出と、大半の場所からは雪が消え、スキ−のシ−ズンともお別れかという思いが寂しさに繋がるのである、例え最近は滑っていなくても! |
マッタ−ホルン 遠望 2004年2月 |
今朝のJapan Times紙上の世界の天候「Around the World」を見ると、Londonは最低零度、雪. Copenhagen −5℃曇り、Zurichは−6℃雪 とあり結構寒い日々が続いているようだ. しかし最近の朝日新聞によれば、欧州では暖冬が続くだろうとスキ−リゾ−ト地帯でも標高の低いところは雪不足のため冬より夏の観光客誘致に智恵を絞っているそうだ. 上の写真は最近のマッタ−ホルンを示している. 遠方からでは雪不足かどうかは分からないが、マッタ−ホルンの街Zermattは暖冬に泣かされないだろうとあった. 今年は都合が悪く、この先も年内は欧州にスキ−に行けそうもない. 次のシ−ズンが雪不足で滑れないなどという事が無いよう祈っている. タイトル[想うままに]へ戻る |
(15) Broadband | 2004年03月27日 |
5年前に購入した時は当然ながら最新型だったPCも今ではHard Diskの容量も満杯になり、演算速度も遅くて、我慢しながら使用していたが、ついに新型のDesk Top型PCを購入した. OSも新しくなり、Word、Excsel も機能が増えて、戸惑いながらも「60の手習い」ならぬ「60過ぎの手習い」を始めた. 救いは、これまでの経験からある程度はVersionが変わっても対応出来る事である. しかし参考書なしでは、時間ばかりかかるので、OS、Word、Excel用参考書を買って来て目下順番に読んでいる. PCを購入するに際しての最大の関心ごとは、どうすれば膨大な量のホルダ-とファイルを新PCに簡単に引越し出来るかという事であった. 知識のある人には簡単なことかも知れないが、自分には結構大変であった. つまり理屈は知っていても具体的に実行するには、細かい疑問点が幾つも出て来た. 書籍を頼りに先ずPC2台の直結LANを構築してホルダ-とファイルを引っ越そうと考えた. 旧PCにはLAN用のI/Oが付いてなかったので、LAN用のPCカ−ド(PCMCIAカ−ド)と接続用クロスケ-ブルを買って来た. ところがPCカ−ド付属のCD−ROMでデバイスドライバは旧PCに取り込まれPCカ−ドのインスト-ルは上手く行ったと思いきや、旧PCがPCカ−ドを認識してくれない. LAN処理に必要なファイルを探してOSに組み込む過程でつまずいて、OSのCD−ROMをセットせよとあるが、家のどこにも見当たらない. ならばPC内のどこかにある筈なのでそれを使おうとしたが、該当ファイルが見つからない(以前いろいろいじっていて消してしまったようだ). それではとMicrosoftのダウンロ-ド サ−ビスを頼ったが駄目だった. 結局諦めて次の方法として「USB接続」を考えた. これは2台のPCをUSBポ−トを使用して、USB Link Cableで直結する方法である. 必要部品のUSB Link Cableを購入し、部品メ−カのHomepageからUSB LINKの「Peer To Peerソフトウエア」をダウンロ−ドした. 結果は上々の出来で上手く行った. 2台のPC(ロ−カルマシン、リモ−トマシン)スクリ−ン上に夫々のCドライブ、Dドライブのホルダ-とファイルが同時に表示されるので、後はドラッグ&ドロップで容易に引越しが出来て、自分の作業に大満足した(随分日数はかかったが). |
マッタ−ホルン 近傍 2004年2月 Castor 4228m & Pollux 4092m | マッタ−ホルン 近傍 2004年2月 Nordend 4609m & Dufourspitze 4634m |
ここで一寸休憩. 上の写真はZermattを取り囲む4000m級の山々(峰々)である. 都合で今回は行けなかったが友人が撮影した写真をプレゼントしてくれたので、おすそ分けです. 23日到着のスイスのGrindelwaldからのメールによれば、今は冬と春が同居している季節で、未だ標高2000mあたりでは滑れるそうだ. 来春のスキ−を楽しみに又一年かけてトレ−ニングをしよう. さてPCを購入し、ホルダ-とファイルや住所録などの引越しも終わり次はBroadbandの採用である. Broadband採用時の条件として、 1. e−mailのアドレスは変更しない. 2. HomepageのURLも変更しない. 3. 地方(海外も含めて)でLaptop PCからダイアル アップでメールが出来る こと. 4. 電話線は1本だが部屋ごとに電話機接続用モジュラ−ジャックがあるので(つ まり並列接続)、3部屋に電話機を接続して、近いところの電話機が使用出 来ること. ADSLにするか、光ファイバ−にするかは、上記の条件が満足される必要があり、現在調査中である. 自分としては40MのADSLで良いと考えている. 仮に伝送損失が大きくて40Mの効果が発揮出来なければ、26Mでも構わない. 上記条件を満足させる為に、プロバイダ−は変えずに契約内容の変更だけをすれば良さそうだが、一番の問題は上記4項の複数の電話機使用が可能かどうかである. A. 技術書によれば、夫々の電話機にスプリッタ−をつければ高周波による影響 を防ぐことが出来、使用可能とある. B. 同意見の友人もいる. C. 総合電気販売店のBroadband担当者は複数の電話機はつけられないと言 う. D. 電話で勧誘の電話会社担当員は複数の電話機の使用は不可、且つ全ての モジュラ−ジャックにスプリッタ−をつける必要があると言う. 随分意見が分かれて困惑しているのが実情だが、私のような質問をする者はいないのだろうか? 一つの解決策として無線LANがあるが、私は今は考えていない. そんなに急ぐ必要もないので、それよりも毎日のように使うExcel2003、Word2003等に習熟するのが先である. タイトル[想うままに]へ戻る |
(16) 人を恋ふる歌 | 2004年04月11日 |
4月6日付き朝日新聞の「天声人語」に英国のロマン派の詩人バイロンに関連させてギリシャのアテネ オリンピックのことが書かれていた. 文の前半を概略引用[,,,]すると、 [ 山々はマラソンにのぞみ /マラソンは海にのぞむ /ひとときひとり、私はたたずんで思いふけり /ギリシアはふたたび自由となろうと夢見る. ギリシャ各国を放浪したバイロンは当時トルコに支配されていたギリシャへの強い思い入れがあった. 1821年に独立戦争が起きると身を投じる. やがてギリシャは独立を果たし、バイロンは英雄としてたたえられた、、、、、、、、、、、、、、、、] バイロン(George Gordon Byron)は英国最古の由緒ある貴族の出身ながら、ユニ−クな大衆詩人であり、ゲ−テが「バイロン卿こそ19世紀最大の天才である」と讃辞を贈った詩人である(三省堂 永遠の巡礼詩人バイロン、楠本哲夫 著). そして最後はギリシャ独立運動に身を挺し1824年4月19日(復活祭の月曜日)に37歳の生涯を閉じた. 因みに今日(4月11日)は復活祭である. イ−スタ−(Easter)といい、キリストの復活を祝う日で、3月21日以降最初の満月のあとの最初の日曜日で、キリスト教国ではクリスマスに次ぐ重要な祭日である. 私の手元に一冊の英語の本がある. 表題は「BYRON’S POEMS」で厚みが4.5cmもある装丁の立派な書籍である.発行年月日は定かでないが、裏表紙に”父から娘へ”というサインがあり、February 24,1884とあるのでそれより古い本だと思う. 私が引退した時に英国で英国人の同僚たちから贈られたもので、宝物である. 余りに数多くの詩や戯曲が収納されていて、何時になったら全部を読み切れるか予想もつかない. さてバイロンといえば、どんな人物を思い浮かべるだろうか? 彼は反逆詩人、熱血詩人であり、義を愛し、義に殉じた人物である. 私が学生の頃によく唄はれた歌に「人を恋ふる歌、作詞:与謝野鉄幹、作曲:不詳」があり4番にバイロン ハイネと記述がある. 唄うことによってバイロンの存在を知った者もいるだろう. 今この歌を知っている若者はいるのだろうか? 1.妻をめとらば 才たけて みめ美わしく 情けある 友を選ばば 書を読みて 六分(りくぶ)の侠気 四分の熱 2.恋の命を たずぬれば 名を惜しむかな 男子(おのこ)ゆえ 友の情けを たずぬれば 義のあるところ 火をも踏む 3.略 4.ああわれダンテの 奇才なく バイロン ハイネの 熱なきも 石を抱きて 野にうたう 芭蕉のさびを よろこばず この歌を唄っていた頃はバイロンについては殆ど知らず、ただ情熱の詩人とか思っていた. まさかギリシャ独立闘争の勇士であったとは! また「人を恋ふる歌」について調べていたら、上記4番にあるダンテを別にコレッジと書いてある詩もあり大変驚いた. コレッジとは英国の詩人コ−ルリッジ(Samual Taylor Coleridge)のことらしいが、私には新発見である. タイトル[想うままに]へ戻る |